
論語と算盤を読み解く
RIO
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今夜もやってきました、論語と算盤を読み解く。えーと、今日ちょっとね、収録前に久しぶりに昔の手帳を引っ張り出してたんですよ。十年くらい前に、あるNPOの立ち上げに関わってた頃の。で、そこに「社会的使命と財務健全性の両立」って書いてあって、まあ当時のぼくはそれを真顔で書いたわけで、今読むと少し照れますね。言葉としては立派なんだけど、それが実際の判断でどう機能してたかって言うと、あんまり自信がない。そういうことを今夜は考えます。テーマは「仁義と富貴」の章。渋沢栄一が問うのは、道徳と利益は本当に対立するのか、という一点で、渋沢はその「対立する」という前提そのものを疑いにいく。中身はここから。[pause]
まず渋沢が何を批判しているのか、ここを正確に置きたくて。あなた、「西洋思想の流入が実業家を利己的にした」というざっくりした話で理解してる方、多いと思うんですよ。でもそれ、本当ですか。渋沢の診断はもう少し構造的で、先に誤った儒学解釈があった、それが隙をつくったというかたちになってる。具体的には朱子学的な「利を求めることは仁義に反する」という読み方が、商売人を後ろめたい存在にしてしまって、どうせ後ろめたいなら利益だけ追えばいい、という心理的な地滑りを起こした、という話として読める。で、渋沢はここで孔子・孟子の原典に戻れと言う。本来の孔孟は「義」と「利」を対立させていない、正しい手段で富を得ることは道徳と矛盾しない、むしろ一致する、というのが「義利合一」の核心で、誤伝は後世の解釈者がつくったものだ、という立場をとる。[pause] でね、これが現代でどうなってるかというと、「義利合一」という考え方自体は、ESGとかパーパス経営とか社会的インパクトとか、いろんな言葉に姿を変えてわりと広く流通してますよね。ぼくが気になるのはそこじゃなくて、その言葉が実際の判断でどう機能してるか、という部分で。現場でよく見るのは、「仁義道徳」を看板に掲げながら、実態は利益優先の判断に道徳的な言語を貼り付けているだけ、というかたちで、渋沢が批判した「義利対立」の誤解は消えたように見えて、言葉だけ入れ替わって生き続けてる、とぼくは思っていて。たとえば、社会課題の解決を掲げて事業を立ち上げた組織が、規模が大きくなると収益性の低いユーザー層への対応を段階的に削っていく、という現象は珍しくないですよね。サービスの利用料を無料から有料に切り替えるタイミングで、低所得のユーザーが自然に脱落していく、という設計を「事業の持続性のため」と説明するやつ。これ、「義利対立」を否定する言葉を持ちながら、実際の判断では利が義に勝つ構造を温存したまま、という状態なんですよ。渋沢が言う「信念を確立する」というのはこういう局面で義を手放さないことで、理念宣言じゃなく、利益判断と同じ重さで道徳を置き続けること、というのがぼくの読みです。で、渋沢はこの義利対立が続けば貧富差が拡大して社会が不健全化すると言っている。これは予言というより、利己主義化した実業家が多数になった場合の帰結として、構造の問題として語ってる点は、読む側として意識しておく必要があって、数字で語っているわけじゃない、論理の話です。
「義利合一」を信じている、と言える人はわりと多いとぼくは思っていて、でもその信念が利益判断と同じ重さで機能しているかどうかは、別の問いなんですよ。あなたの組織で、道徳的な言語が飾りになっていないか、あるいは自分自身の判断がそうなっていないか、一度確かめてみてほしい。看板と内実がどこまで一致しているか、それだけ。次回は別の章に進みます。今夜はここまで。論語と算盤を読み解く、でした。次回、あなたは自分の中の「利」と「義」、どちらを先に置いていますか。
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