
論語と算盤を読み解く
RIO
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えーと、今日はちょっと蒸し暑い日で、収録前にコーヒーを一杯飲んだんですけど、それが微妙に濃すぎて、なんか今、胃がむずむずしながら喋っています。まあそういう日もあります。で、今日の番組は『論語と算盤を読み解く』、今日扱うのは「算盤と権利」という章で、キーワードとして出てくるのが「王道」という言葉です。渋沢がこの言葉にいったい何を乗せているのか、それが今日の中心になる。で、その前に一個だけ問いを立てておきたいんですが、法律と道徳、どちらが先に来るべきだと思いますか。直感で答えが出た人も、うーんと詰まった人も、その感覚を持ったまま聞いていてください。答えはまだ出しません。
じゃあ読み解きに入ります。まず渋沢がこの章で何を言っているかというと、出発点は「社会問題や労働問題は法律だけでは解決できない」というところにある。法律っていうのはあくまで外枠であって、最低限の線引きをするものだ、と彼は言う。でね、その内側に「人間行為の正規」——王道と彼が呼んでいるものがなければ、法律は形骸化するだけだ、という構造になっています。で、ぼくがここで面白いと思うのは、彼がそれを抽象的に語るんじゃなくて、具体的な事例を二つ持ってきていること。クルップという当時のドイツの大企業と、アメリカのボストン近郊にあったウォルサム時計会社、この二つを「資本家と労働者の関係が家族的に調和している例」として挙げている。で、もう一点、これは意外と見落とされるんですが、渋沢は「貧富の格差は完全には解消できない」とはっきり認めているんですよね。これ、理想論で片付ける人の書き方じゃない。現実を前提に置いた上で、じゃあどうするかを考えている。[pause] ここから一段めくって考えると、「家族的な労使関係」という言葉が現代でどう使われているか、あなたも思い当たることがあるんじゃないかと思う。この言葉って、スローガンとして流通した途端に骨抜きになることがあって、気がつくと「家族への忠誠」みたいな文脈で、労働者側が滅私奉公を求められる構図に反転している。渋沢が言っている「家族的」は、そういうことじゃない。相互の同情心に基づく、対等に近い調和を指している。で、もっと重要なのは、渋沢の原文がどっちに対して書かれているかということで、これは識者や資本家、つまり持っている側への要求として書かれている。「王道」という言葉は経営者側の都合のいい語彙になって流通しやすいんですが、原文を読むと、それを実践する義務を課されているのはむしろ経営者のほうなんですよ。それ、本当ですか、と自分でも確認したくなる話ではあるんですが、テキストを追うとそう読めます。で、これを現代に置くと、たとえば従業員が育児や介護やメンタルの問題を抱えている時に、法律を遵守することで対応を終わらせている職場と、仕組みより先に上司がその人の状況を把握して動いている職場とでは、法的には同じ条件でも体感として差が出ることがある。数字をぼくは持ち合わせていないけど、現場を渡り歩いてきた感覚として言うなら、定着率や日々の動き方のきめ細かさが明らかに違う。法整備が進んだ分、ルールを守ったことが免罪符になりやすい時代というのは、むしろ今だと思う。渋沢が「法律だけでは解決できない」と言ったのは百年以上前の話ですが、今のほうが刺さる文脈がある、というのがぼくの見立てです。[pause] 最後に渋沢自身の立ち位置についても言っておくと、彼は財界人として実際に企業をいくつも作っている人物で、自分が資本家側のフィールドに立っていることをよく知っている。だから「資本家側に同情心を求める」という主張は、他人への説教として書いているというより、自分が立っている場所への戒めとして書いている側面が強いと思う。聖人的なきれいごととして読むより、自分のゲームのルールを書いている人間の自戒として受け取るほうが、言葉の重さが変わってくる。
まあ今日の話をざっくり整理すると、渋沢が言う「王道」は使いやすい言葉だからこそ、誰でも自分の側に引き寄せて使えてしまう。でね、原文に立ち返ると、その言葉が最初に向けられているのは持っている側、経営者や識者のほうだった。あなたが職場や組織でこの種の言葉を使う時、あるいは誰かから使われた時、誰に何を求めているかを一度確かめてみる価値はあると思う。で、最後に問いとして置いておきます。「相互に同情心を持って」という条件、あなたが属している組織では、どちら側が先に動いていますか。次回は「論語と算盤を読み解く」、別の章を取り上げます。今日はここまでです。
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