
#73 スタンプが街を動かす?
AIRWAVE GYODA
TAP TO PLAY
このエピソードをシェア
スタンプラリーって、制覇すること自体がゴールになってくるじゃないですか——わたし、それだと途中で力尽きちゃって。
デジ玉のラリーは賞品やグッズっていう別のゴールが一応あるんだけど——それって「好きだから行く」聖地巡礼の動機とどこが違うんだろう、宵はどう思う?
聖地巡礼って「この場面の橋だ」って気づいた瞬間がゴールみたいなところがあって、賞品より先にその一瞬があるから動けるんですよね——でもデジ玉みたいに「とりあえず来てみた」がきっかけになって、古代蓮の里で急に行田の時間の深さに気づく、みたいな順番もありだと思う。
聖地巡礼は「好き→行く」の順だけど、デジ玉経由だと「行く→好きになる」で、ヴェールカフェみたいな昭和レトロな空間がそのきっかけになれるのが面白いと思ってる。
わたしも気づいたら好きになってた、って経験はあって——古代蓮の里に蓮を見に行っただけのつもりが、帰り道に「行田って何百年も人が暮らしてた場所なんだ」ってじわっときたんですよね、ヴェールカフェみたいに時代が染み込んだ場所ってそのじわっとが起きやすい気がします。
昭和の空間って「知らないのに懐かしい」という不思議な感覚を若い世代に起こすから、ヴェールカフェのレトロな雑貨やメニューが、宵の言う「じわっと」の入り口になってると思う。
ヴェールカフェって、メニューの字体とか食器の柄とか、見たことないのに「あ、これ知ってる気がする」ってなる瞬間があって——そのノスタルジーが「もう一回来たい」じゃなくて「もっと行田を知りたい」に変わると、スタンプラリー帰りの人が次は目的なしにまた来る、みたいな流れが生まれそうだと思う。
デジ玉の期間って秋から冬をまたぐから、蓮の時期とはずれてて——「また来たい」が芽生えた人が季節を変えて戻れる余白が、あの五ヶ月間にちゃんとある気がしてる。
「また来たい」って気持ちだけだと、結局予定入れないまま終わる人が多いと思うんですよね——聖地巡礼でも、推しの誕生日とか新刊発売日とか「この日に行く理由」がないとわたしは動けなかったから、行田にも季節の変わり目に「この日じゃないといけない理由」が一個あると全然違う気がする。
デジ玉の一月十一日って締め切りが、「また来たい」をちゃんと「行かなきゃ」に変換してくれる仕掛けかもしれない——期限があるだけで人の足は動きやすくなると思う。
聖地巡礼のグッズって「数量限定・当日のみ」みたいに条件が重なるほど気合いが入るから、デジ玉の賞品も締め切りだけじゃなくて「これを手に入れるためにこの日」って形にすると、もう一段足が動く気がします。
デジ玉のグッズって「埼玉らしさ」をデザインに落とし込んでるものが多いから、「この場所でもらった」という文脈がセットになると、締め切りと限定性がちゃんと「この日」に変換される気がしてる。
聖地グッズって「あの場面の場所で買った」っていう記憶が一緒に梱包されてる感じがあって、賞品はデザインが行田でも「もらった」だけで終わると、もう一回行く理由にはなりにくい気がするんですよね。
ヴェールカフェで注文したり雑貨を選んだりする行為って、「自分で選んだ」という能動性が記憶に刻まれるから、「もらった」より「あのとき買った」の方がリピートの引力が強くなると思う。
聖地グッズって「これじゃないとだめ」って理由を自分で探しながら選んでる時間が一番記憶に残るから、ヴェールカフェで雑貨を手に取って迷う、その迷い方ごと持ち帰れると「また選びに行きたい」が次の理由になる気がします。
スタンプを押す場所を自分で決めて回る行動って、雑貨を手に取って迷うのと同じ能動性があって——「どこを先に行くか」という選択の積み重ねが、ポイントを貯めるだけとは違う「自分で作った旅」の記憶になるんじゃないかと思ってる。
デジ玉ってGPSで場所を取得する仕組みだから、そこに立ってる一瞬だけは絶対に「通り過ぎ」にならないんですよね——聖地で「この橋だ」って気づく瞬間と構造が似てて、その数秒に体ごと入るかどうかで記憶の濃さが全然変わる気がする。
← PREV
NEXT →
ARCHIVE
AIRWAVE GYODA の他のエピソード