
#123 古墳で弦楽四重奏、なぜ今?
AIRWAVE GYODA
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わたし、子どものころ古墳って本当にただの「でかい丘」だったんですよね——でも東京交響楽団が来るって聞いたとき、あ、ここって実はとんでもない場所だったのかって初めて思いました。
「でかい丘」に一流オケが来るの、たしかに笑えるけど——音が壁に吸われないぶん、史跡の空間って残響の仕方がぜんぜん違うんじゃないかとぼくは思ってて。
子どものころ古墳の上で友達と叫んだとき、声がどこにも当たらずにそのまま空に消えていく感じがして、なんか怖いくらいだった——それが「残響がない」ってことだったのかも。
吸ってくれる壁がないと、音って本当にただ「放たれて終わり」なんだよね——そう考えると、弦四重奏って大編成より音が繊細なぶん、あの空間に対してかなり挑戦的な選択だと思うんだけど、宵はどう感じた?
壁に返ってこないから、一音一音を追いかけるしかなくなる感じ——あれ、逆に集中できるんじゃないかってわたしは思うんですよね。
弦四重奏って四人がお互いの音を聴き合いながら調整できるから、大編成みたいに「外に向かって押し出す」じゃなくて「空間に溶かす」演奏ができるぶん、あの開けた古墳の上には実は一番合ってる編成なんじゃないかとぼくは見てる。
「溶かす」ってのはなんかわかる気がする——ただ、主催に山本食品工業さんが入ってるの、最初に見たとき正直「え、お漬物屋さんが?」ってなったんですよね。
「お漬物屋さんが?」って言い方、めちゃくちゃ正直で好きだけど——民間が入ると「予算の組み方」と「動かせるスピード」がぜんぜん変わってくるから、協議会と教育委員会だけじゃ稟議に時間がかかる部分を山本食品工業が突破口になってるんじゃないかとぼくは見てる。
「旅の手帖」経由で申し込みって、つまり最初から地元民じゃなくて外から来る人向けに設計してるってことで——子どものころ古墳を「でかい丘」って思ってたわたしみたいな人間は、最初から客じゃないのかなってちょっと思った。
「でかい丘」って言ってた人が今いちばん深く読んでるじゃないですか——ただ、旅の手帖の読者って「いい旅をしたい都市生活者」だから、外から人が来て騒ぎになるのを見て、地元の人が初めて「あ、ここすごいのか」って気づくっていう順番、たぶん狙い通りなんじゃないかとぼくは思ってる。
あ、でもそれって、わたし自身がまさにその逆をやってるんですよね——地元育ちなのに、外に出て戻ってきてから「ここすごい場所だったのか」って気づいてる。
宵がまさにそのモデルケースで——「旅の手帖」って外の人間を呼ぶ道具に見えて、実は一度出た地元の人が「外目線」を借りて戻ってくるための設計としても機能してるんじゃないかとぼくは思ってる。
でも十四時から十四時四十五分の受付って、旅人なら「逆算して移動を組む理由になる」けど、地元のわたしには「え、その四十五分で何してればいいの」ってなる気がする。
受付が十四時から四十五分限定で、それ以前は入れないって運用、旅人にとっては「ここに十四時に着く」が行程の骨格になるけど、地元民には見慣れた場所にわざわざ柵が立ってる感じで、その異物感こそが「ここ、いつもと違うぞ」って気づかせる仕掛けになってるんじゃないかとぼくは見てる。
子どものころって古墳って柵も何もなくて、ランドセル背負ったままふらっと登れたんですよ——そこに「受付」「整理券」って並んでると、同じ場所なのに急に他人の庭に入るみたいな感覚になる。
旅の手帖を入口にした瞬間に、ランドセルで登れた子が「招待されてない側」になるっていう逆転、たぶん設計した人は意識してないけど、外の人を主役にするほど地元の記憶が邪魔になるっていう構造がそこにあると思う。
正直に言うと——行きたい、でも「地元民として」じゃなくて、一回ぜんぶ忘れて初めて来た人のふりして聴いてみたい気がする。
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