
#124 文化祭って誰のためにある?
AIRWAVE GYODA
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行田に帰ってきた最初の秋、地元の友達と一週間会っても、誰も「文化祭行く?」って一言も言わなかったんですよね。
文化祭が「行きたい場所」じゃなくて「気づいたら終わってた場所」になってるとしたら、告知の問題がかなり大きい気がする。
産業文化会館・郷土博物館・みずしろって会場がバラバラだから、全部つながった一個のお祭りって感覚が持ちにくいんですよね。
逆に言えば、会場がバラバラなのって街を歩く口実になる気もして、問題はつながりを見せる地図や案内が足りてないことなのかもしれない。
わたし、菊花展って郷土博物館でやってるって今日の収録で初めて知ったんですけど、無料なのに情報が届かないって、すごく損してる感じがしますよね。
無料なのに「知ってたら行ったのに」で終わる理由って、たぶん価格じゃなくて"発見のルート"が設計されてないことで、四か所の会場に茶席千五百円だけがぽつんと有料で目立つ構造は、逆に無料の部分を見えにくくしてる気がする。
十五団体が毎年同じメンバーで集まってるとしたら、発信って「新しい人に来てほしい」より「いつもの人に向けた連絡」で完結しちゃうのかなって、戻ってきたわたしがどこにも引っかからなかった理由が少しわかった気がして。
十五団体が囲碁・将棋・盆栽・菊花展って並ぶと、ジャンルごと「その世代の人が来る場所」になってて、新しい人の入口というより、既存のコミュニティの発表会として閉じてる構造なのかもしれない。
ホールでのステージってたぶん一番「お客さんに来てほしい」形式なのに、わたし行田戻ってきてから一度もそのチラシ見たことないんですよね。
十一月二十三日の午後二時って、祝日だけど月曜の昼すぎで、働いてる人はともかく「午後から用事がある人」には微妙に行きにくい時間帯だと思う。
筝・邦楽・日本舞踊って並んでると、タイムテーブル以前に「これ、観に来ていい人わかる?」ってなりません?
「発表会」って基本、出演者の家族・知人が来る前提で成立してるから、「筝・邦楽・日本舞踊」の並びは「観に来ていい人」じゃなくて「来ることが決まってる人への案内」として書かれてるんだと思う。
着物で筝ってビジュアルだけ切り取ったら普通に映えるはずで、鬼滅の刃の胡蝶しのぶが舞台に立ってるみたいな画になる可能性あるんですよね。
着物で筝の画をそのまま切り取ってポスターかリール動画一本作れば入口になるのに、案内が「産業文化会館ホール、十一月二十三日」で止まってるのは、映える可能性を自分たちで使わずに終わってる。
囲碁と将棋は盤と駒のアップで「間」が出るし、盆栽は一鉢の樹形だけで絵になるから、どのジャンルも撮り方さえあれば映えの入口はあると思うんですよね。
十五団体が毎年同じメンバーで成立してるなら、新しい人を呼ぶことで何かが変わるリスクより「今年も無事に終わった」の方が価値として大きいから、撮って発信する動機がそもそも生まれにくい構造なんだと思う。
十五団体がそもそも「新しい団体が入れる仕組み」になってるのか、わたしそこ全然わからないんですよね。
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