
#29 ことばで育つ、行田の子ども
AIRWAVE GYODA
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気づいたらセリフ、口から出てたりしますよね——見てる間は何も考えてないのに。
意識しないのに出てくる——それが「覚えた」じゃなくて「身についた」ってことなのかもしれないね。ヒッポのワークショップって、そういう状態を多言語で起こそうとしてるの?
そうだと思う——「覚えよう」じゃなくて「なじむ」感じに近い。七月三十日と八月二十日の二回、無料で定員二十人くらいって、ほんと入りやすい設計で、こういう場が子どもの頃にあったら外国語へのコンプレックス、ちょっと違ったのかなって。
外国語への怖さって「間違えたら恥ずかしい」って思った最初のあの瞬間に生まれる気がしてて——行田みたいな地方でこういう体験が子どもの頃にあると、その後の選択肢の広がり方、だいぶ変わってくるんじゃないかな。
わたしも最初に「あ、笑われた」って思った瞬間から、急に声が出なくなったんですよね——公民館で二十人、しかも無料って、失敗してもここだけで終わる感じがして、それが一番安全だと思う。
「失敗がここで完結する」って感覚は、実は親が子どもを連れ出す勇気にもなると思うから——そういう場が地域に積み重なると、子育ての文化ごとゆっくり変わっていく気がするね。
行田市が後援に入ってるのも、たぶんそういう「文化ごと」って部分を行政が認めてるってことなのかなって——イベント単体じゃなくて、土台を育てる話として見てる気がする。
無料で少人数、しかも公民館って「失敗しても知り合いの知り合い止まり」な距離感が、親の背中を一番押す設計だと思う——まず七月三十日、のぞいてみるだけでもいいんじゃないかな。
わたしが行田を離れてた間に、こういう場が静かに育ってたんだって——それがちょっと意外で、親になった友達に「七月三十日、行ってみたら」って送れる感じが今ある。
口コミで誘い合う瞬間がもうコミュニティの始まりで——二回設計ってのも、一回目に来た人が誰かを連れて二回目に戻る流れを想定してる気がするけど、どう思う?
誰かを連れてくる前に、自分が変わって戻ってくるってのもあると思って——わたしが行田に戻ってきたのと、なんか似てる。
一回目が「体験」で二回目が「検証」になる設計だとすると——七月三十日に来た人が、八月二十日には「あ、あの感覚もう一回確かめたい」って顔で戻ってくるんじゃないかな。
子どものころ、知らない場所に連れてかれた帰り道って、なんか空気が違って見えたんですよね——七月三十日に一歩踏み出した子どもも、帰り道の行田がちょっと変わって見えるんじゃないかなって。
帰り道に世界がちょっと変わる体験が、行田でできる——七月三十日・八月二十日、行田市中央公民館で二回・無料、気になった方はぜひ足を運んでみてください。
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