
#60 甲冑隊と歩く、行田の本気
AIRWAVE GYODA
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テンション、上がるんですけど——小さいころは甲冑どころか忍城もほぼ眼中になかったんですよね、アニメ見るまで。
甲冑隊のビジュアルって、刀剣乱舞とか戦国BASARAで「かっこいい武将」に慣れた目で見るとすごく親和性高いなと思ってて——あれ、意図して寄せてるんですかね、それとも結果的にそうなっただけなんだろう。
忍城の築城自体が戦国時代なので、むしろ「結果的に」の方じゃないかな——わたしが最初に忍城を「かっこいい」と思ったの、『のぼうの城』の映像で水攻めのシーンを見てからなんですよ、あの水に浮かぶ城のカットで急に「地元やばくない?」ってなって。
映像で「地元やばくない?」ってなる瞬間、物語が先にフックになるんだよね——甲冑隊とSLの組み合わせって、まさにそういう「見た瞬間に絵になる」入口を実物でやろうとしてるんじゃないかと思ってる。
蒸気と鎧が同じフレームに入った瞬間って、写真で見てもすごいけど、煙の匂いと汽笛の音が重なる現地は全然別物だと思う。
地元民って「いつでも行ける」が最大の先送り理由になるから、限定日って実は観光客より地元の人の背中を強く押す設計なのかもしれないと思ってる。
行きます、たぶん——「たぶん」って言ったのは、当日まで自分が動けるか自信ないだけで、行きたい気持ちは九割九分ある。
九割九分あるのに「たぶん」って残り一分が心配性すぎるんだよね——「大将・姫とあるく」って、見る側じゃなくて歩く側に引き込む設計で、甲冑隊と一緒に城を回ることで自分も物語の中に入る感覚になりそうだと思ってる。
長親や甲斐姫の目線で「ここ守ったんだ」って思いながら水城公園の堀を見ると、ただの公園の池じゃなくなる気がする。
解説板を読んでも「ふーん」で終わる景色が、甲冑を着た人が同じ場所に立つだけで急に地続きになるんよね——身体が時代を橋渡しするから、映像には出せない。
地元の人間が「参加する側」になれる機会って、普段の観光設計だとほぼなくて、甲冑隊と並んで歩く瞬間だけ急に「この城を守った側」になれる気がする。
着ぐるみやパネルが「見るもの」で止まるのに対して、甲冑隊は「一緒に歩いて、声を交わせる存在」だから、こっちが能動的に関われる余地が生まれるんだと思ってる。
二十七日に行った人だけが「あの甲冑隊と歩いた」って言える日になるから、何年後かに地元の友達と話したとき、その一日がちゃんと自分だけの記憶になるんですよね。
限定日って、行った人が「あの日よかった」と言い始めた瞬間に、行かなかった人の中で初めて後悔に変わる設計なんだと思ってる。
「あの日よかった」って言い出した人、次の出陣日も自分から調べてるはずで——語った瞬間にもうリピーター候補になってる。
職場の雑談で出た話って「自分も行かないと」に変わりやすくて、SNSは逆に遠い人に広くは届くけど、身近な誰かを動かす力は弱い気がしてる。
「あの日さ、甲冑隊と歩いたんだけど」って言われた瞬間、話しかけてきた顔が目に浮かぶから、画像より声で広がっていくんだと思う。
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