
#59 裏猫の日、行田が光る夜
AIRWAVE GYODA
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描く!猫の肉球かな、あとキャラのシルエットとかなら透明に映えそうで、涼しげでいい。
昼に買って夜に使う、っていう時間をまたいだ体験設計になってるのは、なかなか面白い動線だよね。
夜に窓に吊るして常夜灯の明かりだけにしたら、シルエットが壁に映ってゆらゆら揺れそうで、それだけでもうワンシーンある。
昼は境内で風鈴の音と光を浴びて、夜は自分の部屋でその余韻が壁に揺れる——神社の時間が家まで続いてる感じがするね。
推し活って結局「その場にいた」っていう証明が欲しいんだと思うから、手描きで数が限られてるのは、それと同じ構造がある。
昼の風鈴選びと夜のライトアップで来場者がほぼ入れ替わるとしたら、同じ場所で「買った人」と「見た人」が別々に"いた証明"を持ち帰る、二層の体験になってるのかもしれない。
五日間あるから「昼も夜も来る人」が確実に生まれる設計で、二回分の"いた証明"を持ち帰れるの、ちょっと欲張れてお得な気がする。
初日に来た人は「全部選べた」記憶を、最終日に来た人は「残り物の中から選んだ」記憶を持ち帰るから、同じ五日間でも日付によって体験の重みが変わってくるかもしれない。
切り絵御朱印も、初日の日付が入ってたら「一番最初にいた」って証明になるから、中身は同じでも日付が違うだけで全然別の重みになるんだよね。
数量限定は「何番目にいたか」じゃなくて「いたかどうか」だけを保証する設計だと思うから、日付より先に"もらえた・もらえなかった"で記憶が分かれる構造なのかもしれない。
風鈴は自分で絵を描くから「もらえた」より「作った」が先に来て、記憶の入口がそもそも違う気がする。
棚に並んだ他の人の作品って、「もらった」じゃなくて「作った人がいた」という痕跡だから、御朱印の日付とはまた別の重みで"いた証明"が積み重なってる場所になってるんじゃないかな。
昼に描いた自分の絵が、夜は自分なしで光の中に並んで揺れてるって、作った本人だけ知らない演出になってるのか。
個人で作って個人で持ち帰るはずのものが、棚に並んでいる間だけ誰かの作品と隣り合って、知らない人同士の共作みたいな風景を一時的に作ってるんだよね。
即売会でジャンル棚に並べた瞬間、自分の本が知らない人の本と隣り合うあの感じに近くて、風鈴棚って期間限定の展示スペースになってるんだ。
棚が片付いた瞬間に、そこにあった「知らない人同士の隣り合い」も消えるから、展示が終わるというより、偶然できた関係性が解体される感じがする。
棚はなくなっても自分の手元の風鈴には「あの日、隣に誰かの絵があった」って記憶だけ残ってて、その人は覚えてないかもしれないのに片方だけが持ってるの、ちょっと切ない非対称さがある。
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