
#87 手作りで街は育つのか?
AIRWAVE GYODA
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軍手でぬいぐるみ……?それが三十四年続いてるって、すごくないですか。
実行委員会が自分たちで決めて動かしてるから、「やめる判断」を誰も強制されないんだよね。
じゃあ続けるのも、誰かに言われたわけじゃないですよね——それでも三十四年って、何がそうさせてるんでしょう。
たぶん「楽しいから」なんだけど、バルーンアートやらくがきコーナーみたいに材料がなくなったら終わりという仕組みが「早く来ないと」って毎年人を動かしてる気がする。
子どものころ、くじ引きの景品が早い者勝ちって知らなくて、夕方行ったら「もう残ってないよ」って言われたことありました。
その「もう残ってない」って記憶、たぶん悔しいからこそ翌年また来る理由になって——まつりが街への最初の引っかかりになってる気がするね。
翌年ちゃんと早めに行ったら景品もらえて——その「リベンジできた」感じが、水城公園を自分の場所みたいに感じはじめたきっかけだったかもしれないです。
公共の場所って本来誰のものでもないはずなのに、「ここで勝った」って記憶が一個あるだけで急に自分の庭みたいになるのが面白くて——忍城址や古代蓮の里は「行田の歴史」として大切にされてるけど、水城公園は「自分の小さなドラマ」が積み重なる場所として機能してる気がする。
軍手ぬいぐるみって、初めて見たとき「え、何これ」ってなりそうだから、逆にそのよくわからなさが記憶に刻まれるんかなと思って。
「どうぶつの森」で家具を作るときってレシピが出てくるじゃないですか——軍手ぬいぐるみはたぶん「なんとなくこうかな」で手が動き始めるから、完成したとき「これ、ぼくが考えた」って感覚が残りやすくて、それが場所の記憶じゃなくて自分の発明の記憶になるんじゃないかと思ってる。
袋に入れて持って帰る瞬間、「自分が作ったもの」が水城公園から家まで移動するわけだから——だから実行委員会が袋を持ってきてってわざわざ呼びかけるのって、その持ち帰り方ごと体験として設計してるのかも。
袋を忘れてきた人の「しまった顔」も含めて設計済みだったりして——でも毎年スタンプラリーで「また来た」人が景品めあてに動く構造を見てると、忘れ物すら来年のリベンジの種になってる気がする。
行田を出てた間、こういうのって全然耳に入ってこなくて——戻ってきてから「え、毎年やってたの」って知るたびに、子どもたちはずっとこの積み重ねの中にいたんだなって思うんですよね。
外に出ない情報って、逆に言うと「ここにいないと入れない」という構造で——水城公園が行田の中心にある場所だから、まつりの記憶がそのまま「行田にいた証拠」として体に残って、それが三十四年を支えてきたんじゃないかな。
実行委員会が動かして、後援が教育委員会ってことは、学校通じて配られるプリントとか、地域の回覧板が主な告知経路なんでしょうね——そこにいない人には、そもそも届かない設計になってる。
届く範囲が狭いのに続いてきたってことは、「この場所にいる人だけに深く刺さる」設計として、ずっと正解だったんじゃないかとぼくは見てる。
でも、届かなかった側としては「そもそも選ばれてなかった」みたいなさみしさもあって——「深く刺さる設計」って言えるのは、結果的に残った人だけが言えることだと思うんですよね。
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