
#86 花手水タウンが街を変える夜
AIRWAVE GYODA
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聖地って「作品が好きだから来た」のか「その場所が好きだから来た」のか、何度も行くうちにどっちかわからなくなってくるんですよね。
花手水は作品の外でも成立してるから、「花手水が好きで来た」という動機がいちばん自然に生まれやすいケースだとぼくは思う。
当時はお参りするのに精一杯で気にも留めてなかったのに、誰かがあげた写真を見て「これうちの近所じゃん」って初めて綺麗だと思ったんですよね——気づかせてもらったのわたしじゃなくてSNSだった。
花手水って、地元の人より外から来た人の目に先に届くコンテンツなのかもしれない——だとしたら、三ヶ月連続開催は「遠くの人をリピーターにする」設計として読めるけど、宵はどう見る?
聖地って「次どこ行こう」じゃなくて「もう一回あそこ行こう」になるの、理由がなくても行けるくらい好きになった時だから——月一回・三ヶ月は、その手前の「口実がいる段階」をちょうど埋めてくれる間隔な気がします。
口実があれば人は動くから、三回来るうちに「ついでに寄る店」が一軒できれば、四回目から口実がいらなくなる——商店街にとってはその一軒をつくる機会を三回もらえる設計だと思う。
店より先に「あの人また来たね」って声かけてくれる人が一人いると、その場所への理由が変わるんですよね。
三回同じ時期に来れば、同じタイミングで来る人と自然にかぶるから、「あの人また来た」は偶然じゃなくて設計の結果として起きやすい——そこに店の人が加わると、商店街全体が「顔見知りができる場所」になっていく気がする。
聖地って何度行っても「来た人」のままの場所と、三回目くらいで「また来たね」ってなる場所があって——行田は後者になれる規模な気がします。
三回は「顔を覚えてもらうギリギリの最低限」だとぼくは思っていて——月一・土曜固定という設計は、同じ人が同じ曜日に動きやすい生活リズムに乗っかっているのが地味に効いてる気がする。
土曜が休みじゃない人や、毎月は遠すぎる人には届かない設計だから——「三回で顔見知り」は、わりとちょうどいい距離に住んでてちょうどいい仕事してる人が前提になってる気がします。
遠くから月一で来るコアなファンほど、三回の「土曜固定」に乗れないかもしれないし、地元の商店主も土曜に一番忙しければ、この設計が「参加者」じゃなく「背景」に押しやる構造になりうると思う。
会場が商店街の中に点在してる形だから、お客さんが自然と店の前を通る導線になってて——「背景になるかどうか」は設計より、その時に声かけるかどうかで決まる気がします。
立ち止まらせるのはプロジェクションマッピングで、そこに店の人が声かけやすくなるのは花手水の「散らばり」が人を歩かせるからじゃないかと、ぼくは思う。
聖地巡礼って「次はあそこ」って地図より先に足が動く感じがあって——複数に散らばってる花手水、それと同じ引力の持たせ方だと思います。
散らばりが足を動かすのは同意で、加えて十月・十一月・十二月と季節が変わるたびに花の色味も変わるなら、三回の引力は「同じ場所にまた来た」じゃなく毎回リセットされて更新されてる気がする。
帰省のたびに「あ、ここ変わってる」より先に「なんか違う」ってなる感じ——花手水も三回来るうちに前回と比べるんじゃなくて、その月の景色としてまるごと受け取ってる気がします。
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