
#88 古墳って、実はアツい場所じゃない?
AIRWAVE GYODA
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正直、最初は怖い寄りだったかも——でも離れてみて初めて、あの丘が当たり前じゃなかったって気づいた。
近すぎると「風景」になっちゃうんだよね——毎日見てるものって、もう「見てない」に近い。
友達に「え、古墳て入れるの?」って聞かれて、「普通に散歩するとこだよ」って言ったら「え?」が三回くらい返ってきた。
「普通に散歩」って言えちゃうのが、もうだいぶバグってるんだよね——二千年前の墓の上でラジオ体操してる地域、世界でもそんなにない。
でも「当たり前すぎる誇り」って、言葉にされるまで気づかないんですよね——外から「すごい」って言われて初めて、あ、これ自慢していいやつだったんだ、ってなる。
古墳フェスティバルって、外の人が「すごい」って言う場を年に一回つくることで、地元の人が自分たちの「当たり前」を更新できる仕組みなのかもしれない。
令和八年十月十八日、さきたま古墳公園——わたしも「地元民として外から来た人の顔を見に行く側」で参加してみたい。
観光客が古墳に驚く顔を地元民が眺める——それって、いつもの「見る・見られる」がひっくり返った、ちょっと珍しい祭りの形だと思う。
ゲームで古代史にはまって、気づいたら「あ、あの丘って実物じゃん」ってなったんですよね——画面の中で見てた「前方後円墳」が、歩いて行ける場所にあるって、急にスケールが追いつかなくなった。
画面の「情報」として先に知ってから実物に出会うって、ある意味で古代へのルートが変わったんだと思う——地図より先にゲームの世界観が「入口」になってる世代が増えてる気がする。
わたしの場合、ゲームで「稲荷山古墳」って名前を見て、「あ、これ地元の名前だ」って気づいた瞬間が先で——実際に丘の形を「あ、これが前方後円か」って認識したのは、あとからなんですよね。
「名前」が先に来ると、実物に会ったとき「再会」になるんだよね——ゲームや漫画がやってるのって、古代への「予習」じゃなくて「先に好きにさせる」ことなのかもしれない。
フェスに「名前で会う前の自分」を連れてこられる入口があったら強くて——たとえばゲームや漫画に出てきた単語と、目の前の古墳が繋がる案内板一枚あるだけで、「再会」が起きやすくなると思う。
古墳フェスティバルの情報を見る限り、そういうゲームや漫画と実物を繋ぐ案内はまだないと思う——「来た人に語りかける」仕掛けより、「来た人が動いて楽しむ」体験型の構成が多い印象で、その一枚はまだ誰も置いてないのかもしれない。
「稲荷山古墳——〇〇(ゲームタイトル)で見たあの丘が、ここです。」くらいシンプルな一文でいいと思う、説明より「あ、これか」が先に来てほしいから。
「あ、これか」が先に来てほしい、って——説明板より共鳴を優先する設計で、それだけで入口の深さが変わる気がする。フェスの体験コンテンツは公式サイトがまだ出揃ってないから確認しきれてないんだけど、その一枚、誰が置くんだろうね。
「地元民のわたしが古墳の前で『これ、〇〇に出てくるやつですよ』って言い続けるのが、一番早い案内板かもしれない。
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