深夜の、それでいいんじゃないか
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EPISODE· 2026年6月22日

深夜の、それでいいんじゃないか

RIO

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opening

えーと、最近ちょっと夜ふかしが続いていて、まあ良くないんですけど、良くないとわかりながら続けてしまうやつで。で、そういうときって大体、昔見たアニメを見返したりするんですよね。あなたもそういうことないですか、深夜にわざわざ過去のコンテンツを引っ張り出してくるやつ。新しいものを開拓するエネルギーはないんだけど、何かを見ていたい、みたいな状態。それで、まあ有名な作品の、有名な回を見ていたんです。仲間が死ぬ回。ああこの回か、って最初のさんびょうくらいでわかる、あの感じ。でね、見ながらふと思ったんですよ。ぼく、いま泣かないといけないのかな、って。泣けなかったわけじゃないんです。でも泣く前に、一瞬だけ、何かが挟まった。その「一瞬」が、今夜の出発点です。

main

仲間キャラの死って、ほぼ必ずおなじ文法で来るんですよ。かつて誰かが言った言葉が回収される。映像がスローになる。残されたキャラクターが声を上げて泣く。BGMが転調する。この文法、完成度が高いんですよね、ほんとに。感動を最大化するために設計されていて、ちゃんと機能している。で、ぼくはそれを「うまいな」と思いながら見ていた。[pause] そこで気づいたことがあって、悲しみが物語の燃料として設計されている、ってわかっていながら、ぼくたちはその燃料として燃えることを「正しい消費」だと思っている。まあそれ自体は別にいいんですよ。フィクションってそういうものでもあるんで。問題はそこじゃなくて、「泣いたかどうか」がSNS上でその作品への愛の証明になっていることで。あの回で泣けなかった人間は心がない、みたいな言説が、わりと普通に流通しているんですよ。泣くこと=感動できる正しい受け手、という等式がいつのまにか成立している。データで見ると、逆なんですよね。感情移入が深い視聴者ほど、演出の構造に気づいてメタ的な距離が生まれることがある、っていう話が認知心理学の文脈ではあって、つまり「冷静に見ている」ことと「深く受け取っている」ことは矛盾しない。でも、そういう話はSNSでは流通しない。「考えながら見てたら泣けなかった」は言いにくいから。で、ぼくが一番気になっているのは、悲しみを「正しく消費できたか」で自分をジャッジするようになったとき、悲しみはもう感情じゃなくて、リアクションのパフォーマンスになっている、ということで。あなたも、泣きながらなんとなく「ああ、ちゃんと感動してる自分」を確認したことないですか。泣いたから感動した、じゃなくて、感動したことを泣いて証明している、みたいな順番になっているとき。

mail

今夜はお便り来てないんですよね。でね、これたぶん偶然じゃなくて、泣くこと・感動することをテーマにすると、意見が来づらいんですよ。経験上。なぜかっていうと、「泣けなかった」という体験は、言いにくいから。言ったら冷たい人だと思われる。それが怖い。[pause] でもこれ、今夜の話の続きなんですよね。感動できなかったことを告白できない空気、それ自体が「正しい反応を演じる」構造がいかに外側まで広がっているかの話で。ぼくが聞きたいのは、泣いたかどうかじゃなくて、泣こうとしていたかどうかなんです。その違い、わかりますか。泣こうとするって、自分の感情を先回りして正解に寄せていく動作なんですよ。それ、本当ですか、「感動した」と言うとき、あなたはどこまで自分の感情を確認しましたか。来週以降、そのあたりのお便り、待ってます。

closing

今夜の一言。悲しみは感じるものだったはずが、いつから見せるものになったか。今夜のお題です。あなたが最後に「泣かなきゃいけない気がして」見ていたコンテンツは何でしたか。作品名じゃなくていいです、そのときの感覚だけ送ってください。次回、どんな言葉が来るか、ぼくもちょっと楽しみにしています。深夜の、それでいいんじゃないか。

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