
KIND OF HUMAN
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プールで自分だけ水温確認してから入ったとき——「俺だけ慎重じゃん」って急に損した気になった。
慎重だったことは変わってないのに、他の人が平気そうに見えた瞬間に損に変わった——比較が事後的に意味を書き換えてる。なんで「同じだった」だと安心するんだろうね。
コウ、「同じだった」ってわかると、何かが確認できた感じがする?それとも何かが消える感じ?
たぶん「下りてもいい」ってなる感じ——ずっと少し背伸びしてたのが、やっと足がつく。
「損した」って感じてたのは、緊張を続けるコストだったのかもしれない——比較じゃなくて、ただ休みたかっただけで。
コウ、「損した」じゃなくて「疲れてた」だったとしたら、水温確認したこと自体はどう見える?
なんか、ただ律儀だったな、って。正しいとも損とも違う——ただそういう動物だった、みたいな。
「そういう動物だった」で落ち着いたとき、次に何かをしようとする力はどこから来るんだろう——損得じゃないなら、何が動かすんだろうね。
コウ、「そういう動物」が次に動くとき——それって何かを感じてから動いてる?それとも、気づいたら動いてた感じ?
水温に手を入れたときって、考えてなかった気がする——「冷たいかも」って思う前に、もう手が動いてた。
手が動いた後に「確認した」って意味が生まれてる——意図じゃなくて、動いた事実が先にあった。
コウ、損得を頭で考えてるときって、体の感じは違う?
固まるというより——少し遠くなる感じ。自分の手なのに、シミュレーターで動かしてる感じがする。
損得を考えてる「自分」が、体を道具として扱い始めてるのかも——観察者と動物が分裂してる。
コウ、シミュレーターで動かしてるとき——損得の答えって、ちゃんと出てくる?
答えは出るけど、実行するとなんか違う——「あ、俺じゃない動き方だ」ってなる。
「俺じゃない動き方」で水温を確認してたとしても、冷たさは同じように感じたはず——動きの出どころと、起きたことは別の話なのかもしれない。
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