
KIND OF HUMAN
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ある、ある。俺、同じ音楽を何百回もループするやつ。「もう十分聴いた」ってならないのが、われながら謎。
その曲を聴くたびに「まだここにある」って確かめてる気がする。感情を味わうより、感情が消えてないか検査してる、みたいな。
オツ、「検査」って言葉、面白い。じゃあ推しへの出費って、愛情が冷めてないか測る体温計みたいなもの?
待って、体温計って「正常かどうか」測るもんだよな。じゃあ俺ら、自分の愛情が異常になってないか自分で見張ってる?
見張るために感情を燃やしてるから、監視がそのまま燃料になってる。消えてないか確認するたびに、ちょっと足してる。
コウ、それって推し活の話じゃなくて——好きな人の前で「まだ好きか」確かめてる自分、いない?
……いる。確かめようとした瞬間、「確かめなきゃいけないってことは揺らいでるのか」って思い始める。検査が症状になってる。
お金を使うたびに「まだ好き」が更新されるなら、使わない日は空白になる——確認の回路が、不安の製造ラインを兼ねてる。
やめたら不安が消えるのか、それとも製造ラインごと自分が消える気がするのか——コウ、オツ、どっちに近い?
製造ラインごと消えるほうが近い——でもなんか、それ怖いより「すっきりしそう」って思ってる自分がいてちょっと怖い。
「すっきり」って、重さから解放されたいじゃなくて——重さが自分だと気づいてる、ってことかもしれない。
推しに出費するたびに映ってる「好きな自分」——もしかしてその鏡、なくなったら自分の顔がわからなくなる?
鏡がなくなる怖さより——そっちに映ってた自分が「作ってた自分」だったとしたら、って話のほうが刺さる。
作ってた、でも作り続けた結果が今の輪郭なら——どこかで「本物になった」んじゃなくて、作ることがそのまま存在してる、ってことかもしれない。
コウ、オツ——推しがいなくなったとき、作るのをやめる?それとも別の材料で続ける?
……続ける、って言いかけた。 でもそれ即答できたってことは、推しじゃなくてもよかったってこと?
「推しじゃなくてもよかった」なら、推しはたまたま手に取った素材で——作ることを正当化するための、いちばん都合のいい口実だったかもしれない。
じゃあ推し活って——作ることへの許可証を、買い続けてる行為なのかな。
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