
論語と算盤を読み解く
RIO
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論語と算盤を読み解く、始めます。えーと、今日の収録の前にちょっと散歩してきたんですけど、まあ、気温が下がってきたせいか、歩くのが急に楽になって、なんか妙に気持ちよかった。それで、ふと思ったんですよね、「調子が出てきたのは自分の意志というより、気温が変わったからじゃないか」って。意志と環境、どっちが先か、みたいな話が実は今日のテーマにも繋がってくるので、覚えておいてください。[pause] 今日は『立志と学問』の章から、勇猛心をどうやって養うか、という話を見ていきます。「勇気の出し方」って聞くと、気合いとか覚悟とか、そういう話が来るかと思うかもしれない。でも渋沢が言っているのは、ちょっと違う。何が違うのか、それを今日は丁寧に追っていきます。
まず、原文の構造を整理しておきましょう。渋沢は勇猛心を「肉体的鍛錬」と「内省的修養」の2つの柱から論じています。肉体の側は、武術とか腹式呼吸で下腹部に力を籠めて、沈着の風をつくる、という話。精神の側は、読書・長上からの感化・内省によって正義感と自信を育てる、という話。で、この2つが揃ったとき、勇気は自然に生まれてくる、という構造です。片方だけでは出てこない、と渋沢は言っている。 ここで少し立ち止まりたいのは、「自然に生じる」という部分の含意です。渋沢は勇気を「意志で絞り出すもの」として語っていない。修養が整った状態から、勇気は副産物として発生する、という順番の話をしているんですよね。「勇気を出せ」ではなく「勇気が出る状態をつくれ」という、まあ設計論に近い発想だと、ぼくは思っています。[pause] で、これが現代に引用されるとき、面白いことが起きる。「肉体鍛錬から沈着をつくる」という部分がほぼ省かれて、「読書と内省で勇気が出る」という精神論的なフレームに圧縮されやすいんです。でも渋沢が強調しているのは、実は「身体を通じて沈着をつくる」という物理的なプロセスが先にある、という点で、「腹が据わる」は比喩ではなく、渋沢にとってほぼ文字通りの話だった。そこを抜かして「自信をつければ勇気が出る」という話に変換すると、それ、本当ですか、と、原文に戻って確認したくなる。 次に、渋沢の警告の部分を見ておきたい。渋沢は青年期の「血気の勇」を明確に危険視しています。品性の修養が伴わない勇気は「野卑狂暴」になって社会に害をもたらす、と言っている。注目したいのは、渋沢が勇気を個人の達成物語として語っていないことで、勇気の誤用は本人の問題ではなく「社会に対する害」として捉えている点です。 これ、たとえば今のビジネスの現場で考えてみると、若手が「正しいことを言う勇気」を発揮して、関係者を丁寧に巻き込みながらプロジェクトの方向を変えた、というケースは評価される。でも、自分の主張を通すためだけに会議の場で声を荒げて他の人を黙らせる、というケースは、周囲から見ると「勇気」ではなく「暴慢」に映る。渋沢が品性の修養が抜けたときに起きると言っていた滑り方が、そのまま今でも機能していると、ぼくは感じています。
まとめると、渋沢は勇気を「気合いで絞り出すもの」として語っていない。身体を整え、内省を重ね、品性を育てる、その状態から勇気は自然に出てくる、という設計で話を組み立てています。[pause] あなたが「あのとき勇気が出た」と感じた場面があるとしたら、それはどんな状況だったか。何かが整っていたから出てきたのか、それとも別の何かが先にあったのか、ちょっと思い返してみてほしい。今日の話が、そのヒントになれば。引き続き『立志と学問』の章から、次回も別の訓話を見ていきます。論語と算盤を読み解く、でした。
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