
#85 電動キックボードで忍城下を走れ
AIRWAVE GYODA
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忍城って毎日そこにあるのに、なんか視点が変わると「あ、でかい」ってなりそうで、ちょっとこわいんですよね。
電動キックボードで忍城の前を通ったら、歩くより速いのに視線は低いままで、「あ、思ったより迫ってくる」ってなりそうだなとぼくも思う。
毎日見てると脳が「もう知ってる」ってフィルター張るんですけど、速度と目線が変わった瞬間だけそのフィルターが剥がれる感じ、なんか怖くないですか。
徒歩より速くて車より低い、あの中途半端な速度域だけが「知ってるつもり」を剥がすんだと思う——だからこそテスト走行って、操作慣れじゃなくて視点の慣らしとして設計されてるのかな。
ガイドさんの説明を地元民のわたしが「へえ」って言いながら聞く構図、ちょっと恥ずかしいけど絶対面白い。
地元民が観光客モードで「へえ」ってなってる絵、なかなかシュールだけど——ガイドさんの語り口ひとつで、自分が育った街の話が急に「遠い昔話」みたいに聞こえる瞬間があると思う。
足袋蔵とか、ずっと「あ、あの建物ね」で終わってたのが、ガイドさんの言葉ひとつで急に「守られてきたもの」に見えてきて、愛着と距離感が同時に増す感じ、ちょっとへんな気持ちになりそう。
ゼリーフライや十万石まんじゅうがツアー料金に含まれてるんだけど、説明を聞いた後で食べると「ずっとそこにあった味」じゃなくて「意味を持って渡されたもの」に変わるんじゃないかと思う。
味は同じなのに、「だれかが守ってきた」って知った後だと、飲み込んだとき何か残る気がして——それが重いのか豊かなのか、まだわからないんですよね。
「守ってきた」を知ったうえで食べてもらうことで、味じゃなくて文脈ごと持ち帰ってもらえる——それって単なる土産販売より、ゼリーフライそのものの価値の基準を書き換えていく力があると思う。
でも外でそれが「かわいいB級グルメ」として広まっていくとき、文脈ごと持ち帰ったはずのものが薄められてる気がして、嬉しいような、ちょっと悔しいような。
「かわいい」で入口を広げることが、文脈ごと体験するツアーへの導線になるなら——薄まりながら広がること自体が、深みへの呼び水になってるとぼくは見てる。
「呼び水」はわかるけど、「かわいい」で食べて満足した人が、わざわざ「じゃあ次はツアーで」ってなるかというと、そこ相当遠くないですか。
遠いとは思う——ただ、じゃらんで予約できる設計にしてるのは「かわいい」で終わった人が旅先でふと「あ、ここ行けるじゃん」ってなる瞬間を狙ってる気がして、衝動とインフラをつないでる話かもしれない。
じゃらんで予約するのとそこに立つのって、「できる」と「行く」の間にまだ壁があって——わたし自身、アプリでお気に入り登録した場所、半分以上行ってないんですよ。
「できる」と「行く」の間を埋めるのは、予約インフラより「十二時半集合」って決まった瞬間の、逃げられない感じかもしれない。
「十二時半に集合」って、もうそこで"行かない選択肢"が消えるんですよね——お気に入り登録は「いつでも行ける」が「ずっと行かない」になるけど、時刻が決まった瞬間だけ、未来が一個に絞られる。
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