
#36 SLが帰ってくる街、行田
AIRWAVE GYODA
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聖地に着いたとき、まず改札出る前に一回深呼吸するんですよね——行田に来た人も、たぶん同じで、駅を出た瞬間の空気の匂いとか、遠くに見える水城公園の緑とか、そういう「ここに来た」って感覚を求めてると思う。
その「来た」って感覚、まちあるきツアーやシャトルバスって、たぶんそれを壊さないために設計されてる——移動を作業にしないための工夫だと思う。
シャトルバスってちゃんと「ルートを走る」じゃないですか——次の場所に着くたびに、あのシーンが来る、みたいなページをめくる感覚に近い。
田んぼアートへの直通バスって、目的地を「揺るぎない前提」にしてくれるから、途中の車窓で余白を楽しめる気がする。
田んぼアートって、展望台に上がって全体が見えた瞬間に「あ、これだ」って来るじゃないですか——聖地で言えば、背景のその角度に立てた、あの一瞬に近い。
その「これだ」に辿り着くために、まずクレジットカードと先着のハードルを越えないといけない——入口が一個しかない聖地みたいだな、とぼくは思う。
先着で取れた人って、もうその時点で「行くぞ」って決めてる人だから、展望台に上がった全員がちゃんと「これだ」って顔してそうなんですよね。
ただ、決意して来た人ほど頭の中に「完璧な絵」ができあがってるから、実物が少し違うだけで「あれ?」ってなるリスクも、ぼくは同じくらい感じてる。
聖地でそれやって「あ、思ってたのと違う」ってなったことあるんですけど——田んぼアートって毎年絵柄が変わるから、「完璧な絵」を頭に作りようがないんですよね。
毎年変わるってことは「今年の絵」を共有できるのが一緒に来た人だけだから、体験の核心が「何を見るか」より「誰と見たか」に自然とずれていく気がする。
一人で来た人は「誰と」じゃなくて「いつのわたし」と見たか、になるのかも——今年はこの絵だったって、一人で抱えて帰る記憶って、むしろ濃くなる気がする。
一人で来た人って、自分のペースで次を決められるから、レンタサイクルみたいに「ルートが自分次第」な手段の方が、その記憶をもう少し引き伸ばせる気がしてる。
レンタサイクルって、止まる場所を自分で決めるじゃないですか——観光タクシーは「次はここです」って連れていかれる感じで、一人で来た人の「もう少しここにいたい」がどこにも行き場なくなる気がする。
観光タクシーって、ある意味「誰かの正解ルート」を体験させてもらう乗り物だから——一人で来た人の「もう少しここで」は、市内循環バスのバス停の間隔くらいがちょうどいい余白かもしれない。
行田のバスって「次来るまでの時間」が長いから、その間にちょっと覗こうかなって動ける——SLが走る日は忍城のそばで音だけ聞きながら、城跡散歩してると思います、わたし。
SLが走る日って、住んでる人にとっては「街がちょっと余所行きの顔をする日」な気がしてて——観光客が増えると、地元の人もなんとなく背筋が伸びる感じ、あると思う。
背筋が伸びる街に自分もちゃんと混ざりたいから、SLの日はまちあるきツアーの列に地元民として紛れて、案内されながら知らなかった路地を一本見つけたい。
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