
論語と算盤を読み解く
RIO
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最近ちょっと気になってることがあって、まあ大した話じゃないんですけど、本棚の整理をしていたら、昔買って一回も開いてない本が何冊か出てきたんですよね。で、そのどれもが帯に「経営者必読」とか「リーダーのための」って書いてある本で、それを見てなんかおかしいなと思って、また棚に戻したんですけど。[pause] まあそれは置いておいて、今日扱うのは「論語と算盤」の「処世と信条」章です。渋沢栄一が官を辞して実業家に転じた、その直後の話で、旧友から「なぜ金儲けの世界に入るんだ」と言われた場面から始まる。「論語で商売ができるか」という問いが、この章全体をずっと貫いていて、ぼくはこの問いがまだ死んでいないと思っている。今日はそこを一緒に見ていきたいと思います。
まず原文の構造から押さえます。渋沢が官を辞したとき、友人の玉乃から「金銭は卑しい」と批判された。で、渋沢がどう返したかというと、趙普、北宋の宰相ですね、この人が論語の半分だけで天子を補佐したという故事を引用して、「論語は実務に使える」と示した。この返し方がぼくはおもしろいと思っていて、渋沢は「論語は正しい」とも「孔子は偉大だ」とも言っていない。「最も欠点の少ない教訓だから手元に置いている」と言った。これは信仰の言語じゃなくて、比較検討の末に出した評価の言語なんですよね。[pause] で、次に渋沢が明示的に批判した話に入るんですが、「学者が論語を農民や商人には読ませるべきでないと広めた」という観念への批判がある。ここで大事なのは、孔子の原文にはそんなことは書いていない、ということで、「農民は読むな」「商人には関係ない」という解釈は後代の注釈、儒学が制度化されていく過程で付け加えられたものだ、というのが渋沢の立場です。渋沢の言い方を整理すると、「難しくしたのは孔子じゃなくて、孔子を職業にした人たちだ」ということになる。これ、すごく冷静な指摘だと思うんですよね。怒っているわけじゃなくて、構造を言っている。それ、本当ですか、と渋沢自身が自分の時代の常識に問い返した、というふうに読めます。で、これを現代に接続すると、同種のことが今も起きている、とぼくは思っていて、具体的に言うと、企業の研修とか管理職向けの勉強会で「論語と算盤」が引用されるとき、「道徳と経済は両立できる」という標語だけが流通するケースがある。それ自体は悪くないんですけど、読む場が「幹部向け勉強会」に限定されて、「経営者の教養」として額縁に入った瞬間に、渋沢が批判した「農人・商人には読ませるべきでない」という構造を現代版で作り直していることになる。渋沢が「論語は現場の人間のものだ」と言った、その主張を「教養ある経営者の言葉」として飾ると、内容と扱いが逆転する。で、これは悪意じゃない、というのがぼくの見立てで、「専門家が解説する」「場が限定される」「聴く人が絞られる」この三つが揃えば、どんなに開かれた思想も構造的に閉じていく。データで見ると、逆なんですよね、という話が、ここでも成立する。開こうとして始めたものが、形式を整えた途端に閉じ始める。あなたも、職場でそういう場面を見たことがあるんじゃないかと思う。最後にもう一点、渋沢の行動自体を分析対象として見ると、官を辞して実業に転じたことは、「論語を持ちながら現場で動く」という実験の開始でもあった。「最も欠点の少ない」という慎重な言い方は、盲信とは対極で、比較検討の末に手元に置いた、という姿勢をそのまま言葉にしている。
渋沢が批判したのは、思想を難しくして、特定の人だけのものにすること、でした。そしてそれは悪意からじゃなく、形を整えようとした結果として起きる、という話でもある。[pause] 最後に一つ問いを置いておきたいんですが、あなたが今、職場でも日常でもいいですけど、「これは自分には関係ない」と思っている知識や考え方がたぶんいくつかあるはずで、それは本当に関係ないのか、それとも誰かが「あなたには関係ない」と整理した結果をそのまま受け取っているだけなのか。次回は「処世と信条」章からもう一段踏み込んで、渋沢が「誠実」という言葉をどう定義していたかを読みます。この番組は「論語と算盤を読み解く」です。また聴いてください。
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