
論語と算盤を読み解く
RIO
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えーと、今日はちょっと蒸し暑くて、収録前に缶コーヒーを一本飲んだんですけど、なんか逆に喉が渇いた気がして、まあそういう日もあるか、と。で、今日のテーマなんですけど、『仁義と富貴』という章の中に出てくる「防貧」という言葉を扱います。渋沢栄一は「救貧」と「防貧」をはっきり区別していて、これ、一見似てるようで全然違う話をしている。で、その区別がなぜ重要なのかは、この後でじっくり見ていきます。まず原文に戻るところから始めましょう。
渋沢はこの章で、救貧事業を人道・経済・政治の三つの必要から論じています。感情論じゃなくて、構造として捉えているわけで、ぼくはここがまず面白いと思っていて。「かわいそうだから助ける」じゃなくて、「助けなければ社会がどう壊れるか」という話として組み立てているんですよね。で、根拠として引いているのが、英国が三百年かけて救貧制度を整備してきたという事例で、これは渋沢自身の体験じゃなくて、友人の欧州視察報告から引いている。つまり他者の観察を、自分の主張の裏付けとして使っている。それ、本当ですか、と問い返せない部分もあるわけですが、少なくとも「自分が見ていないことは自分が見ていないこととして扱う」という姿勢として読むことはできると、ぼくは思います。[pause] で、この章の核心になる一文があって、「成るべく直接保護を避けて、防貧の方法を講じたい」という言葉です。渋沢が挙げる具体策は、租税の軽減とか、塩の専売制度の解除とか、そういうものなんですね。施しじゃなくて、制度を変える話をしている。渋沢の言う「防貧」の実体は、個人への恩恵ではなくて、構造そのものの設計なんです。そして彼はこう言っている——富豪は社会の助力があったから成功したのだから、救済に貢献する義務がある、と。これは義務論として読める発言で、「やりたければどうぞ」という話じゃない。ただ同時に警告もある。誠実さを欠く慈善はかえって悪人を造る、という言い方をしています。この警告のほうが、ぼくは現代に刺さると思っていて。現代でこの章が引用されるとき、「富豪には社会貢献の義務がある」という部分だけが切り取られることが多い気がします。でも渋沢が主張の重心を置いているのは「直接保護を避ける」側の話なんです。施すことより、施しが必要にならない構造をつくることを優先している。あなたも、企業や富裕層の社会貢献というと、寄付とかCSRとかイベント支援とか、そういうものがすぐ浮かぶんじゃないかと思うんですが、あれはほぼ「救貧」の話ですよね。目に見えやすいし、広報にもなるし、評価もされやすい。一方で、賃金構造を変えるとか、採用条件を見直すとか、サプライチェーンの中の価格設定を変えるとか、そういう「防貧」の取り組みは地味で時間もかかるし、誰が主導したのかも見えにくい。だから選ばれにくいという、これは批判じゃなくて構造的な話として提示したいんですけど。[pause] 具体的に言うと、ぼくが見聞きした中で、低賃金が常態化している業種で、年に一度、社員向けの食事会とか福利厚生のイベントをやっていて、それで「社員を大切にしている会社」として紹介される、という状況があります。で、その会社の基本給の構造や昇給のルールには誰も触れない。その食事会は「恩恵」として設計されていて、受け取る側に感謝を生む。感謝が生まれると、現状への異議が出にくくなる。これが渋沢の言った「誠実さを欠く慈善はかえって悪人を造る」の、現代での読み方の一つとしてぼくは受け取っています。制度として設計するのか、恩恵として演出するのか——その違いが、受け手を変える可能性があると思っているので。
まあ、断定はしないんですけど、一つ聞いてみたくて。あなたが今関わっている支援や制度は、「救貧」と「防貧」のどちらに近いか——一度考えてみてほしいと思います。渋沢が英国の三百年という時間軸を引いたのは、防貧には構造を変える時間がかかる、という前提を共有したかったからかもしれないな、とぼくは読んでいます。次回は『論語と算盤』の中から別の章を取り上げる予定で、もう少し個人の行動論に近い話になると思います。引き続き聞いてもらえると。この番組は「論語と算盤を読み解く」です。
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