
論語と算盤を読み解く
RIO
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えーと、今日ね、スタジオに来る前に近くの定食屋に寄ったんですけど、なんか券売機の前で三分くらい固まってたんですよ。メニューが多すぎて。で、結局いつもと同じ肉豆腐定食を買って、席に座ってから「また同じもん頼んだ」と思って、まあそれが悪いわけじゃないんですけど、判断する機会があったのにしなかったなって。こういう小さいところで自分の判断のクセって出るよなあ、とぼんやり考えながら歩いてきたんですよね。でね、今日の話がちょうどそこに引っかかっていて。今日は『処世と信条』の章を読み解いていきます。この章が扱う問いはひとつ、「人がいつミスを犯しやすいか」、それだけです。答えはまだ言わないので、あなたはどこだと思うか、少し頭の片隅に置きながら聞いてもらえると面白いかもしれない。
じゃあ読み解いていきましょう。渋沢が『処世と信条』で引く古人の言葉がありまして、「名を成すは常に窮苦の日にあり、事を敗るは多く得意の時に因す」、これが核心になっています。字義どおりに読めば、失敗するのは失意の時ではなく、うまくいっている時だ、という話。これ、逆説的に聞こえるんですけど、ぼくはこれを最初に読んだとき「あ、そうか」じゃなくて「ほんとにそうか」とまず疑ったんですよね。それ、本当ですか、って。で、渋沢はさらに、得意の時でも失意の時でも思慮分別の水準を同じに保て、という処方箋をセットで出しているんです。水準を変えるな、という設計の話として出してくる。それがぼくは面白いと思った。 でね、この章には水戸黄門の言葉も出てくるんですけど、「小なる事は分別せよ、大なることに驚くべからず」というやつで、まあ一般的には「大事に動じるな」という肝の据え方の訓話として読まれますよね。でも渋沢がこれを称賛した理由はたぶんそこじゃなくて、ぼくはこう読んでいる。小事を丁寧に分別してきた人間は、大事が来たときにすでに判断の回路が整っている、という因果の順序として渋沢は受け取っているんじゃないか。「大事に驚くな」というのは心構えじゃなくて、小事の積み重ねが先にある、という構造の話として。小事と大事を別物として扱う人間が失敗する、その見立てを渋沢は水戸黄門の言葉に見ていたんだと思う。 [pause] で、ここから少し現代に引き寄せて話すと、「得意な時こそ気を引き締めろ」という表現って今も使われますよね。あなたも会社で一度くらい言われたことあるんじゃないかと思うんですよ。でもこれ、精神論・心構えの話として消費されてしまいやすくて、渋沢が言っていることとはズレている。渋沢が言っているのは気持ちを引き締めることじゃなくて、得意時代にも判断の質と量を落とすな、という行動水準の話なんです。具体的に言うと、業績が好調な組織ってよくこういうことが起きるんですよ。会議で「今は余裕があるから」という言葉が出始めて、小さな例外、たとえばコスト承認のプロセスを一個省く、報告のステップを一段飛ばす、そういうことを通し始める。一個一個は小さい。でも、それが三ヶ月、半年と積み重なると、気づいたときには瑕疵が大きくなっている。これは油断という心理の話じゃなくて、意思決定プロセスの解像度が組織として下がっていく、という構造の話です。怖いのは、失敗が大事になるまで見えないという時間差にある。見えないから止められない。 もうひとつ言うと、渋沢自身がこれを言えた背景として、幕末から明治にかけて得意と失意を両方経験しているわけで、そこから来た観察なんじゃないかとぼくは推測しています、断定はできないんですけど。彼が「同一の誠実な態度」を掲げたのは、理想論というよりも、再現性を担保するための設計思想に近いんじゃないか。同じ水準で動き続けることで、成果の出方がブレにくくなる、という発想です。これ、現代の組織設計で言えばオペレーティング・スタンダードを好況期に下げるな、という話とほぼ同じ構造だとぼくは思っている。
[pause] 渋沢の話、最後に問いの形で返しますね。あなたが今いるのは得意時代ですか、それとも失意時代ですか。そしてどちらの時に自分の判断基準が実際に下がっているか、ちゃんと見えていますか。「気を引き締めなきゃ」で終わらせないでほしいんです。そうじゃなくて、自分の意思決定の解像度が今どこにあるか、昨日の会議で「まあいいか」と通したことはなかったか、そこを観察してほしい。次回も引き続き『処世と信条』の章から、もう一つ訓話を読み解いていきます。今日も聴いていただいてありがとうございました。番組は「論語と算盤を読み解く」です。
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