
論語と算盤を読み解く
RIO
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えーと、今日ね、スタジオ入る前にコンビニ寄ったんですよ。で、レジの人がものすごく丁寧な言葉遣いをしていて、なんか後ろに並んでいたぼくも、思わず「ありがとうございます」って丁寧に返してしまって。[pause] 普段はもうちょっと雑に「どうも」くらいで済ますんですけどね。なんか、うつったんですよね、無意識に。まあそういう話を今日はするんですけど、今日読むのは渋沢栄一の『論語と算盤』、「常識と習慣」という章です。渋沢はこの章で、習慣というものを「個人の問題」として捉えていない。それだけじゃなくて、「感染」とか「伝播」という言葉を使っているんですよ。普通の道徳論で出てくる語彙じゃないですよね。そのずれが気になって、今日はそこを起点に読んでいきます。
まず、渋沢が言っていることの骨格を確認しておくと、習慣というのは個人の内側にとどまらず、他者へ「うつる」性質を持つ、ということなんですよね。で、渋沢が具体例として挙げているのが面白くて、新聞が新しい文字を使い始めることや、「ハイカラ」とか「成金」みたいな言葉が社会に広まっていく過程なんです。誰かが「この言葉を全国に普及させよう」と企画したわけじゃないですよね。気づいたら広まっている。それが渋沢の言いたい非対称さで、一人の行為が天下の習慣になり得る、という方向の話なんです。[pause] ここで、現代における「習慣」の語られ方と比べてみると、だいぶ向きが違うんですよね。あなたも見たことあると思うんですけど、「朝のルーティンを整えよう」とか「〇〇日間チャレンジ」みたいな言説って、徹底的に個人の内側に向いているでしょう。自分をどう変えるか、自分の行動をどう維持するか。渋沢が言っているのはその逆で、自分の習慣が意図せず周囲に伝播するという外向きの作用なんです。なので、渋沢の文章が現代向けに「自己管理の大切さ」として紹介されると、伝播という概念がまるごと切り落とされる。ぼくはそれがちょっともったいないと思っていて。で、これ、実際の組織で見るとわかりやすくて、あるマネージャーが報告書に雑な言葉遣いを使い始めると、特に誰も指示していないのに、チーム全体の文書のトーンが数ヶ月かけて変わっていくことがある。本人は「そんなつもりはない」と言うんですよ。でも変わっている。渋沢の言う「感化」じゃなくて「感染」の方が近い気がして、能動的に教えたわけじゃなくて、接触によって伝わっているんです。もう少し別の角度だと、スタートアップの創業期に、経営者が深夜まで働いたり、すべてのメッセージに即レスする習慣を持っていると、採用活動より先に組織文化が決まってしまうことがある。誰も「これが文化です」と明文化していないのに、気づけばそうなっている。で、伝播している当の本人が意図していないことが多い、というのが渋沢の観察と重なるところで、ぼくはそこが一番面白いと思っています。[pause] で、渋沢自身のことについて言うと、青年期の放縦な習慣が後年まで尾を引いたと述べていて、克己心で「大部分」を矯正したと言っているんです。「全部」じゃないんですよ。この「大部分」という表現は、希望論として読むより、矯正に要するコストの正直な見積もりとして読む方が渋沢らしいと思っていて、老年でも変えられると言いながら、それが簡単じゃないということも同時に言っている。そういう誠実さが、この章を単なる訓話にさせていない気がするんですよね。
ということで、渋沢の「感染・伝播」という視点から読んできたわけですけど、最後に一つ問いを置いておきます。自分の習慣が周囲に伝播しているとしたら、いまあなたはどんなものを渡しているか——それ、本当ですか。答えは出しません。ただ、習慣を「個人の問題」として閉じていいかどうか、一度問い直す余地はあると思っています。次回も「常識と習慣」章から、今度は「慣習と慣例」という別の角度で読んでいきます。この番組は「論語と算盤を読み解く」です。また聴いてください。
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