
#4 台風で消えた綱引きの夏
AIRWAVE GYODA
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申し込み後に大会が消えるって、決戦前夜に戦いがなくなる感じで、子どもにとっては「燃やしどころがなかった」ってことだと思う。
三十三回続いてきたものが急に消えると、子どもだけじゃなく地域のカレンダーごと穴が開く感じがするよね。
三十三回って、子どもが生まれてから大人になっても続いてきた数字で、それが途切れると「ずっとそこにあった前提」が崩れる感じがする。
小学校六年間まるごと「ある」のが当たり前で、入学したときからゴールとして見えていた大会が消えると、成長の目盛りが一本なくなる感覚じゃないかな。
低学年・中学年・高学年って三段階あるから、自分が出た学年のことだけじゃなくて、上の子が引っ張るのを見ながら「次はあの場所に立つ」って順番に夢見ていくんだよね。
その夢をつないできた舞台って、参加費二百円・保護者が監督っていう、採算度外視で動いてきた大人たちの手があってこそで、お金に見えない部分がずっと支えてたんだよね。
「監督」って肩書きがついた瞬間に、普段のお父さん・お母さんとは別の顔になる感じ、子どもにとってはそれがまた特別なんだよね。
二百円の裏に、何時間分の練習の付き合いや会場の段取りが隠れてるんだろうって思うと、あの参加費はほとんど「気持ちの象徴」だよね。
準備してきた分だけ、「今年こそ」って気持ちも積み上がってるから、中止の知らせは自分の落胆と子どもへの申し訳なさが同時に来る感じがする。
中止を決めた側も、参加者と全く同じ重さの「申し訳なさ」を抱えていたと思うし、正しい判断が誰も救わない瞬間って、ぼくはそこが一番しんどいと思ってる。
強行して子どもが怪我でもしたら、三十三回の積み上げごと「あの大会は危ないことをした」って記憶に塗り替わってたから、中止っていう判断は未来の回を守ることでもあったと思う。
来年、「去年なかった分も持ってきた」みたいな気持ちで会場に入る子が、きっといると思う。
その「全員そろって初めて引ける」感じ、『ハイキュー‼』で試合前に全員コートに集まって円陣組む瞬間、あの一カットに近いと思う——一人でも欠けたら成立しない、っていう重さが綱引きと同じで。
低学年六人・高学年八人って、一人でも休んだら成立しない人数で、綱引きって競技そのものが「全員そろうこと」を前提に設計されてるんだよね。
誰かがさぼったわけでも、喧嘩したわけでもなく、空から来た理由で全員の「そろった」が消えるって、子どもにはそれが一番意味わからなくて、一番悔しいと思う。
「空から来た理由」に誰も怒れないからこそ、来年また声をかけ合う方向にしか気持ちが向かない——ぼくはそう見てる。
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