
深夜の、それでいいんじゃないか
RIO
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えーと、今日はね、ちょっと天気が変な一日で、昼間に外出たら思ったより蒸し暑くて、あ、もうこの季節か、ってなった。まあそれはどうでもいいんですけど。で、夜に家帰って、配信サービス開いたんですよ。ここ何週間か、ずっと気になってるアニメがあって、でね、プレイヤーの画面見たら、最終話だけ、ずっと再生されてない。[pause] 忘れてたわけじゃないんです。タイトルも覚えてる、何話まで見たかも覚えてる、なんなら最終話のサムネイルも毎回目に入ってる。でも、押してない。なんだろうな、これ、ってそのまま画面閉じました。
で、これって自分だけかな、と思って少し周りに聞いてみたら、わりとそうじゃなかった。複数人から「ああ、あるある」って返ってきた。最終回だけ、何ヶ月も見ていない、という状態。最初は単純に「感情的につらいから避けてる」って読んだんですよ。好きなキャラクターと、たとえば2クール、ざっくり半年近く毎週会ってた感覚があって、それが終わると思うと手が止まる、というやつ。感情の回避として読むのが一番わかりやすい。[pause] でも待って、と思って。見たら「終わる」じゃないんですよね、構造として。見ていない間は、まだ「終わっていない」。つまり、再生ボタンを押さないっていう行動は、何かから逃げているというより、その作品との関係を「現在進行形」のまま維持する、能動的な選択として機能してる可能性がある。喪失を避けているんじゃなくて、まだある、という状態をキープしている。「未完」にしておくことで、あのキャラクターとの接続が切れない、そういう構造になってる。終わらせないことが、関係の継続手段になってるわけで、それ自体に何か機能がある。逃げというより、ある種の「保持」として見た方が、起きていることの説明として正確な気がする。ぼくはそう思うんだけど、どうですかね。
今夜はお便りが届いていない。えーと、まあそういう夜もある。でも、ちょっと想像してみるんですけど、もし届いていたら、どんな声が来るか。たぶんひとつは「わかります、ぼくも2年見ていない最終話があります」みたいな共感の声。具体的な作品名まで書いてくれそうな感じがする。でね、もうひとつ来そうなのが「それって結局、逃げじゃないですか、ちゃんと向き合った方がいい」という声。これも正直、来ると思う。[pause] で、これにどう返すかというと、「逃げ」と「保持」って、外から見ると完全に同じ行動なんですよね。どちらも最終話を見ていない、という事実は変わらない。ただ、当人の中でそれがどういう意味を持っているか、そこが違う。2年見ていない人が「あの作品はまだ終わってない」と感じているのか、それとも「向き合うのが怖くて放置してる」と自分で気づいているのか、それは本人にしかわからない。どちらが正しいかを決めるより、なぜその選択をしているのかを見た方が、ぼくとしては面白い。あなたはどっちに聞こえますか。
今夜の一言でいうと、「終わらせないのも、ひとつの付き合い方」。ぼくはそれで構わないと思ってる。で、あなたに聞きたいんですけど、最終回を見ていないままの作品、ありますか。あるとしたら、なぜ止まっているか、自分でわかりますか。「深夜の、それでいいんじゃないか」でした。
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