
深夜の、それでいいんじゃないか
RIO
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えーと、今夜もはじめましょうか。深夜の、それでいいんじゃないか。 ちょっと話しておきたいことがあって、最近ぼくはマンガアプリを毎日開いてるんですよね。スマホの、ホーム画面の左から2ページ目あたりにあるやつ。で、開く。1話読む。「あ、これ続き気になるな」と思う。閉じる。これをもう、たぶん2週間くらい繰り返してる。 おかしいじゃないですか。続きが気になるなら読めばいい話で、時間がないわけでもない——少なくとも、その1話を読んだ時間はあったわけだから。でもね、続きをタップする気にはなれなくて、閉じる。で、翌日また開く。 「消せばいい」と思うんですよ。読まないなら。でも、消す気にもなれない。なんなんだろうこれ、と思って、この状態に名前をつけたくなった。それが今夜の話です。
で、これって、ぼくだけじゃないと思うんですよね。マンガでも、ドラマでも、「続き気になる」のに、なぜか読み進めない・見進めない——あなたにも、そういう経験ないですか。 最初に思いついた説明は「忙しいから」とか「疲れてるから」、まあそういう外側の理由なんですよね。それは確かにある。でもね、データで見ると、逆なんですよね——というか、ぼくの場合で言うと、休日の午後、やることも特になくて、コーヒー淹れてソファに座ってる状態でも、閉じるんですよ。続きを読まずに。だから「外的理由」だけでは説明できない。 じゃあ何が起きてるのかって考えたときに、「続きがある」という状態そのものが、何か機能を果たしているんじゃないかという仮説が浮かんできた。 楽しみを「とっておく」感覚、って言えば少しわかりやすいかもしれない。美味しいものを最後に残す、あの感じに近い。あとは、終わってしまうことを避けている、という側面もある気がして——好きな作品が終わるのが嫌で最終話を見ない、という話はよく聞くじゃないですか。でもぼくが感じているのはそれとも少し違って、未回収の余白が日常にちょっとした奥行きを作っている、という感覚に近い。「あ、あれの続き、まだある」と思いながら電車に乗っている、その状態に意味がある、みたいな。 [pause] だとすると、欲しいのは「満足」じゃなくて、「続きがある状態」そのものかもしれない。消費したいわけじゃなくて、未消費であることを持ち歩きたい。 これ、怠惰とは違うと思うんですよね。怠惰なら、開きもしない。毎日開いているということは、積極的に「終わらせない」選択をしている可能性がある。 そうなるとね、「続きを読む」という行為は、満足への前進じゃなくて、この状態を壊すことになる——それって、どういう構造なんだろう、と思って。今夜はそこを一緒に考えたい。
今夜はお便りがなかった。それだけのことなんですけどね、でもまあ、淡々と置いておきます。 で、ぼくが思ったのは、「あ、これ今夜のテーマとそのまま重なるな」ということで。もしかしたら、あなたも「送ろうかな」と思って、送らなかったかもしれない。スマホのメモアプリか何かに、一行か二行、書きかけたものがあるかもしれない。で、閉じた。 それ、今夜話してることと同じ構造じゃないですか。「送ろうかな」という状態のまま保持している。未送信のまま、持ち歩いている。 [pause] 責めるつもりはないし、正直、その気持ちはぼくにもわかる。送ってしまったら何かが確定する、というか、返事が来る・来ないという現実に入っていく——そういう感じ、あると思うんですよね。 だから、次でいい。続きがある状態でいい。それでいいんじゃないか、というのがこの番組の名前でもあるわけで。 ただ、ひとつだけ聞いておきたくて。送らなかったのは「タイミングじゃなかった」からなのか、それとも「送ってしまうと、この状態が終わる」という感覚があったのか——どっちに近い? それ、本当ですか、と一応自分にも問い返してほしい。
今夜の一言でまとめるなら——人は満足を目指しているとは限らない。「続きがある」ことそのものを、持ち続けたい場合がある。 あなたにも、ひとつあるはずなんですよね。ずっと続きを読んでいないもの、見ていないもの。本棚に挟んだままの栞でも、途中で止まってるシリーズ3作目でも。なぜ読まないんだろう——忙しいから、なのか、それとも、別の理由がある? 深夜の、それでいいんじゃないか。また来週。
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