
#79 十万石の地図、広すぎじゃない?
AIRWAVE GYODA
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まず十万石まんじゅうが浮かんで、でも忍城って言われるとお城の映像がパッと来る——「のぼうの城」で見た感じのやつ。
映画の忍城、あの水攻めのシーンは確かに印象強いよね——ただ今回の展示で面白いのは、成田氏って埼玉のお城を拠点にしながら、摂津国、今の大阪・兵庫あたりにも領地を持ってたらしくて、それってどういう仕組みなんだろうって気になった。
あ、成田氏じゃなくて忍藩の話——松平とか阿部の時代で、武蔵の中だけでも忍・秩父・鉢形・八条って点々としてて、そこに摂津まで加わると、もうRPGのワールドマップじゃないですか、なんでこんな飛び地になるんだろう。
たぶん幕府が意図的にやってたんだと思う——大名の力を削ぐために領地をバラバラに分散させて、ひとつの地域に根を張らせない仕組みで、忍藩も例外じゃなかったってことだよね?
飛び地の仕組みはわかるとして、摂津に住んでる人って「わたし忍藩の人間です」って感覚あったのかな、なんか藩主の顔も知らないまま年貢だけ払ってたりしそうで。
藩主の顔は知らなくても、現地には代官や陣屋が置かれてて、そこが年貢の窓口になってたんだよね——そう考えると石高って、要はその年貢をどれだけ取れるかを数値化したものだから、飛び地の管理もぜんぶ石高ありきで動いてたんじゃないかって気がする。
十万石って換算すると米が一億五千万キログラムで、摂津の農民からしたら「今年も持ってかれた」って感覚が年単位でずっと続くわけで、数字で見るとなんか急に重さが出てくる。
その重さをリアルに感じるには、展示で石高が記された古文書——検地帳とか年貢割付状を直接見るのが一番いいと思う、数字が手書きで並んでるだけで、農民との距離がぐっと縮まる気がするから。
順番で言うと、まず企画展で文字と数字を頭に入れてから忍城址を歩くと、土塁の高さがただの地形じゃなくなる気がする——で、十二日の講演会を最後に聞くと、三日間の疑問をまとめて回収できる締めになるんじゃないかと。
忍城址と郷土博物館って実は隣接してるから迷いにくいんだけど、その順番で回ったとき一番変わるのって、土塁や水堀を「景色」じゃなくて「意思決定の跡」として見られるようになることだと思う——宵はどう思う?
「のぼうの城」で見た忍城って水があんなに広くて、成田長親が堤の上で田楽踊るシーンも壮大に見えるんだけど、実際の土塁って思ったより低くて、「ここに立てば映画と同じ景色が——」ってならないギャップを先に知っておくと、逆に残ってることへの解像度が上がる気がする。
展示で検地帳の字面を見てから外に出ると、「この水堀の幅が石高に含まれてるのか、除かれてるのか」って急に気になってくる——現地に立たないと湧かない疑問だと思う。
水攻めで沈んだ田んぼって、その年の年貢どうなったんだろう——検地帳に「水没につき免除」みたいな書き込みがあったりするのか、展示で実際に見てみたい。
今回の展示にその記録が入ってるかは確かめられないけど、石高制には「損毛見分」って災害時の減免手続きがあって、ぼくは「制度としてはあった」と見てる——ただ摂津の農民が忍藩に申請するって、道中どんだけかかるんだって話で、申請書が届く前に次の年貢の季節が来そう。
陣屋がそこにあるなら申請もそこで止まって、「本藩に伝わる前に代官が判断してた」くらいの話になりそうで、忍の殿様はほぼ関与してないんじゃないかって気がしてきた。
殿様にとって摂津は、代官から届く報告書の数字でしかなかった——現地の田んぼも農民の顔も、石高という一行に圧縮されてたんだと思う。で、十日の初日に行くなら、検地帳と年貢割付状どっちを先に見る?
年貢割付状を先に——「この村から何石取る」って宣告文を読んでから検地帳の田んぼ一枚一枚を追うと、数字の重さが全然変わると思う。企画展だけなら二時間あれば回れそうだから、午前中に展示を見て、午後から城址と土塁を歩く一日で十分組める気がする。
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