
論語と算盤を読み解く
RIO
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えーと、今日ね、収録前にちょっと本棚を眺めてたんですよ。で、『論語と算盤』を手に取ったとき、章のタイトルがあらためて目に入って——「常識と習慣」。この二つが並んでいるだけで、渋沢栄一がこの章で何を問題にしているか、うっすら見えてくる気がしたんですよね。常識って、知っているかどうかの話でしょう。習慣って、やっているかどうかの話で。その二つが並んでいる時点で、たぶん「知ってるだけじゃだめだ」という方向に話が向くんだろうな、とぼくは読みました。[pause] 今日取り上げる訓話、キーワードで言うと「努力」という言葉が出てきます。ただ、渋沢が実際に語っているのは、もう少し具体的な話で——その中身を一緒に見ていきたいと思います。
まず、原文の構造から整理しましょう。渋沢栄一は、老齢になってもなお自分が勉強を続けているという事実を先に置くんですよ。「ぼくはまだ勉強しているよ」という話を先に出してから、そのあとに「怠惰は怠惰に終わる」と言う。これをね、因果関係の話として読む人が多いと思うんだけど——ぼくはそこを少し留保したくて、どちらかと言うと習慣の自己強化の話として読むほうが正確じゃないかと思っています。怠けると失敗する、ではなくて、怠けている状態がそのまま持続する、という構造の話として。で、そのうえで渋沢は「智力があっても動かさなければ意味がない」と言って、「動かす」ということの具体を「勉強すること」に置いています。 ここで渋沢が引いてくる言葉がある。子路の言葉として紹介されている一節で——「口ばかりで、事実行われなくては駄目である」。あなたも知っているかもしれないけど、子路というのは孔子の弟子の中でも実行力で知られた人物で、直情的で、言ったことをすぐやる、という評判がある。孔子が危険な場所に行くとき、真っ先に盾になろうとしたのが子路だ、という話が伝わっています。渋沢がこの人物を選んで引用しているのは、たぶん偶然じゃないと思っていて——「知っている」と「やっている」の間にある距離を、人物ごと引いてきている、という感じがする。[pause] で、そこを踏まえてもう一段めくってみると——現代で「勉強し続けることが大事」というのは、もうほとんど共通認識になっていますよね。でも、渋沢のこの訓話が実際に言っているのは「勉強は実践とセットでなければ機能しない」という点だと、ぼくは読んでいます。ここがね、ちょっとズレてくるところがあって——インプットを繰り返すこと、本を読むこと、セミナーに出ること、資格を取ること——これ自体が「努力している」という感覚に置き換わっている状態というのが、実際にある。学び続けることが目的になって、「やった感」として機能している。何かを変えているわけじゃないのに、充実している気がする、というあの状態。あなたも、一度くらいはそういう期間があったんじゃないかと思うんだけど——長期の研修プログラムに参加して、テキストもノートも揃っていて、でも半年後に現場の何かが変わっているかというと、そこが怪しい、という経験。業種を問わずよく聞く話で、学習と実践の回路が切れている状態と言ってもいい。渋沢の文脈では、勉強はあくまで手段であって、行動に変換されて初めて機能する。子路を引用したのはそこを強調するためだ、とぼくは読んでいます。 それでもう一点、「終身勉強」という言い方が出てくるんだけど、これをね、一生学べという励ましとして読んでしまうと少し読み方がずれると思っていて——ぼくは「やめた瞬間に止まる」という構造の話として受け取っています。習慣の持続そのものが、能力を維持するためのコストだという認識。自己啓発的な成長志向とは少し違くて、もっとフラットで、実務的な見方に近い。勉強は素晴らしいというより、やめたら落ちる、という話として。
えーと、最後に問いとして置いておきたいのはこれで——あなたが「勉強している」と感じているとき、それは何かを実際に変えているか、それとも「学んでいる自分」という状態に留まっているか。どちらが正しいかは、ぼくには言えないし、言いません。ただ、それ、本当ですか、とは聞きたい。[pause] 次回も『常識と習慣』の章から、別の訓話を読んでいきます。この番組は「論語と算盤を読み解く」です。
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