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EPISODE· 2026年8月14日

#52 灯籠よ、忍川を行け

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#52 灯籠よ、忍川を行け

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yoi

忍川のとうろう流し、見たことはあるんですけど——あの水面に灯りが並ぶ光景、アニメで見るより静かで、なんか重たかったです。

rio

八月十六日って、盆の送り火と重なる日で、護国英霊と三界萬霊への供養が目的だから——あの「重たさ」は場が持ってる文脈そのものだと思う。

yoi

アニメの灯籠流しって画面が発光してて綺麗すぎるんですけど、忍川のは光が弱くて、流れていくうちに見えなくなるから——消えることが供養なんだなってはじめて思いました。

rio

消えていくことを、まち全体で見届けてるっていうのが——個人の悲しみじゃなくて、行田という場所ごと弔ってる感じがするんだよね。

yoi

小型と大型があって当日申し込めるんですけど——わたし絶対、大型の二千五百円のやつを選んじゃうと思う、消えていくのを少しでも長く目で追いたくて。

rio

でも小型を当日ふらっと申し込める設計って——弔いに「試しに来てみる」入口を作ってるとも言えるよね。

yoi

忍川って、ずっとそこにあるから逆に意識しなかったんですけど——とうろう流しの夜だけ、川が「どこか」になる感じがして。

rio

旧メセナ行田館の駐車場が会場の受付になるって——普段は車を止めるだけの場所が、あの夜だけ「あちら側への入口」になるのが、川の変容と重なって見える。

yoi

普段「駐車場ね」って素通りしてた場所が受付になってるだけで、なんかすっと行ける気がするんですよね——知ってる場所が入口だと、身構える前に足が向いてる。

rio

忍川の北側って、日常的には特別感のない場所だと思うんだけど——その「特別じゃない」ことが逆に、人を構えさせない仕掛けになってるんだよね。

yoi

忍川って、自転車で渡る時にちょっとだけ橋の欄干が視界に入って、それだけで終わる川なんですよね——景色っていうより、「また越えた」くらいの感覚。

rio

翔栄橋って、渡り終えたら記憶に残らないくらいの橋なのに——その北側が年に一度、「消えていくものを見送る場所」になるっていう落差が、行田の川との距離感をよく表してると思う。

yoi

同じ川なのに——とうろう流しの夜は、欄干より先を見ようとするから、たぶんわたしには別の川です。

rio

同じ水が流れてるのに、見ようとするかどうかで川の意味が変わる——それを年に一度だけ許してくれる場所が、まちの中にあるって、忍川はけっこう贅沢な川だと思う。

yoi

とうろう流しって、わたしも大人になるまでちゃんと見てなかったから——行田に住んでても、知らないまま通り過ぎてる人、けっこういるんじゃないかなって。

rio

当日申込可って、「今年こそ」って準備してきた人だけじゃなく、たまたま川沿いを歩いてた人を、そのままそっと引き込める設計だよね。

yoi

翔栄橋渡りかけて、川に灯りが見えたら——「あ、今日か」って引き返せる距離だから、あそこは巻き込まれるのにちょうどいい場所だと思う。

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