
#25 はにわに込めた街の記憶
AIRWAVE GYODA
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わたし、ねんどろいどっぽいなってずっと思ってて——あの目の大きさと手足の省略具合、絶対コンセプト近いと思う。
ぼくが気になるのは、はにわって表情がシンプルなぶん見る人が勝手に感情を読み込めるとこで——小中学生がはにわ作るとき、何を「込めよう」としてるんだろうね。
三十分で五十人限定って、自分の作ったものが知らない人の目にさらされる密度、同人誌即売会のサークル参加に似てて——あの緊張感の中で子どもたちが「これを込めた」って決めた何かが、投票で肯定されるのを待ってる瞬間がなんか胸に来る。
投票って「選ぶ」行為のぶん、選んだ側も少しそのはにわに責任を持つ気がして——それが地域への関心の芽になるんじゃないかとぼくは見てる。
離れてた頃はただの「古墳があるまち」って感じだったのに、実際こういう場所を知ると、作ることと見せることが最初から地続きになってる空間がちゃんとあるんだって気づく。
持参できるってことは、館自体が「作って終わり」じゃなく、はにわが人と一緒に移動することを最初から想定してる——観光施設なのに記念品を売るんじゃなく、体験ごと持って帰らせる設計がちょっと面白いとぼくは思う。
でも返却あるんですよね、十五時半までに——「体験ごと持ち帰る」はずが、まちに一回預けて引き取りに来る形で、その「預けてた」って感覚がなんか、はにわが数時間だけ行田の子になってたみたいで好き。
意図かどうかはわからないけど、表彰と返却をあえてセットにすることで「預けた時間に意味が生まれる」構造になってるのは、結果的にうまいとぼくは思う。
即売会の搬出って「終わった」の合図なんですけど、こっちは引き取りに来ることが「続いてた」の確認になってて、そこがぜんぜん違う。
「続いてた」を確認しに来る行為が、知らず知らず街との関係を更新してると思う——宵はもし投票する側だったら、どんなはにわに票入れたい?
顔より手に凝ってるやつに入れたいかな——見知らぬ人の一票って、作り手が「ここだ」と思って込めた細部を、ちゃんと受け取ったって証明になるから。
来場者票と実行委員票が両立してるって、「受け取った」の精度が二層になってる感じで——素人の直感が見つけた細部を、専門の目が別の言葉で肯定するとき、作り手にとっては一番重い瞬間だとぼくは思う。
即売会で、ぜんぜん知らない人が手に取ってくれる瞬間と、界隈で名前知ってる人がじっくり読んでくれる瞬間って重さが別物で——小中学生にとってその二つが同じ日に来るの、かなりとんでもないと思う。
知らない人の直感と、詳しい人の言語化を同じ日に受け取る経験って、自分の表現が「偶然じゃなかった」と最初に知る日になりうると思う——それを小学生のうちに持てるのは、けっこうでかい。
わたしが初めて「これ、ちゃんと届いたんだ」って思った瞬間、すごく地味な場面だったんですけど——十月十八日の九時半、あの列に並んでる子たちにとってはそれが、人生で一番でかい三十分になるかもしれない。
受付って本来ただの整理番号をもらう手続きなんだけど、その番号を握った瞬間、「ぼくのはにわに居場所ができた」に変わってる気がして——家を出た瞬間からもう、三十分の外側も全部その時間だと思う。
同人誌を袋に入れて電車に乗った瞬間から、もう売り子としての自分が始まってた——それと同じで、はにわを抱えて古代蓮の里に向かう道が、すでにコンテストの中にある。
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