
論語と算盤を読み解く
RIO
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どうも、こんばんは。今日はね、収録前にちょっとコーヒーを飲もうとして、やかんをかけたまま別のことを考えてたら、沸騰しすぎて�盛大に蒸気が出てたんですよ。まあ、それだけの話なんですけど。[pause] 気を取り直して、今夜のテーマです。『論語と算盤』の「算盤と権利」という章を読みます。タイトルそのままなんですけど、算盤、つまり利益とか経営の話と、権利、つまり立場や権限の話が、この章では重なってくる。で、渋沢栄一がここで取り上げているのは「経営の不正」なんですね。経済人が商道徳を語っている、という事実だけまず置いておきます。重役の道徳と経営の合理性がなぜ結びつくのか、その構造を今日は一緒に読んでいきます。
まず、原文の構造から読んでいきます。渋沢はこの章で、重役を三つに分けているんですね。一つ目が「虚栄の重役」、肩書きや体裁のために席に座っている人。二つ目が「無能な重役」、役割を果たす力がそもそもない人。で、三つ目が最も悪質とされる、会社の金や信用を私的に使う重役です。この三番目に対して渋沢は、「詐欺・窃盗と変わらない」とはっきり言い切っているんですよ。明治の経済人が、商取引の文脈でこの言葉を使っている、というのはぼくにはかなり重く聞こえます。建前じゃなくて、本気で犯罪と同列に見ていた、ということだと思うので。それで、渋沢自身の立場として何を言っているかというと、論語を商売のバイブルとし、一個人が富を積むことよりも「国家多数の富」を実現する方法こそが重要だ、と述べているわけですね。
ここで一段めくってみます。現代で「経営者の倫理」という話がどう扱われているかというと、コンプライアンス研修とか内部規程に落とし込まれることが多いですよね。あなたの会社でも、年に一回か二回、オンラインで受けるような研修があるんじゃないですか。で、ぼくが面白いと思うのは、渋沢が問題にしているのは規程の有無じゃないんですよ。規程があるかどうかじゃなくて、重役が「会社の権限を行使できる立場にいること」それ自体を、自分の私的な資源として使う、という構造を見ている。[pause] これは、規程を整備しても解決しないんですよね。権限を持つ人間の動機が「自己の栄達」にある限り、渋沢の言う三番目の悪質な重役は、どんな組織でも生まれ続ける。コンプライアンスの仕組みって、発覚した後のコスト、つまり罰則や評判の毀損を上げる仕組みではあるんですけど、動機そのものを変える仕組みじゃない。渋沢が「修養」という言葉で言おうとしていたのは、たぶんその後者の話だったと、ぼくは読んでいます。
もう少し具体的に言います。上場企業でも非上場企業でも、役員の交際費や出張費の承認範囲が曖昧なまま通ってしまう、という状況はあなたも耳にしたことがあるんじゃないですか。「役員判断でOK」という一行で処理されるやつですね。これは渋沢が言う会社の金の流用とグラデーションでつながっていると、ぼくは見ています。悪意の有無というより、構造として許容されている、という問題です。それから渋沢が言う「虚偽の配当」に対応する現代の形として思い浮かべるのは、業績を実態より良く見せるために会計上の裁量を使いながら、粉飾とは言えないギリギリのラインで止まっている、という状況ですよね。あるいは、銀行や投資家を安心させるために、実態が悪化しているのに発表を遅らせる、みたいなこと。これも個人が特別に悪質なわけじゃなくて、「重役の立場がそれを可能にする構造のまま放置されている」から起きる、というのが渋沢の見方に近いと思います。
最後に、渋沢の言う「国家多数の富」という概念を、もう少し現代的に読み直してみます。今日的に言えば、ステークホルダー全体の利益、という話に近い感じがしますよね。ESGとかステークホルダー経営という言葉がここ数年でかなり広まって、あなたも聞いたことがあると思うんですけど、ぼくが気になるのは、「その言葉を採用すること」と「重役の動機が実際に変わること」が全然別の話だ、という点なんですよね。渋沢が論語を商売のバイブルにしたのって、外から課される規則に従うためじゃなくて、自分の内側から動く動機の根拠を持つためだった、とぼくは読んでいます。儒教の経典を手元に置いておくことで、何かを決める時に「これは仁義に合っているか」という問いを自分に向けられるようにしていた、ということだと思う。それが今日の形式的な研修との一番大きな違いだと感じます。で、コンプライアンス研修を毎年やっています、と言う会社が安全かというと——それ、本当ですか、と一度立ち止まってみていいと、ぼくは思います。
というところで、今日はここまでにします。一つだけ問いを置いて終わりますね。あなたの組織で、権限を持つ立場にいる人間の動機は、今どこに向いていると感じていますか。会社の利益なのか、自分のポジションなのか、それとも全然別の何かなのか。仮に規程もルールも整備されていたとして、それで渋沢の言う「修養の欠如」は解決されているのか。[pause] 次回も引き続き『論語と算盤』の別の章を読みます。今日とは違う角度から、渋沢が何を見ていたのかを扱う予定です。また来週、ここで。番組は「論語と算盤を読み解く」でした。
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