
論語と算盤を読み解く
RIO
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えーと、今日ちょっと収録前に久しぶりに紙の本を広げたんですよ。論語と算盤の、まあ文庫版なんですけど。で、なんか線が引いてあって、以前のぼくがどこを重要だと思ってたのか、正直よくわかんなくて、ちょっと恥ずかしかったですね。[笑] 自分の過去の読み方を掘り返すのは、まあそれなりに勇気がいる。今日扱うのは『処世と信条』という章で、渋沢が人間としての立ち回り方を、かなり正面切って語っている場所です。今日のキーワードは「逆境」——ただ、渋沢はその逆境をひとくくりにしていない。そこからが面白い。では読み解いていきます。
まず渋沢がやっていることを整理すると、逆境を「自然的逆境」と「人為的逆境」の2種類に切り分けているんですよね。自然的逆境というのは、社会変動とか時代のうねりとか、自分の行動では直接コントロールできない外因のこと。人為的逆境というのは、自分の不徳とか行いの結果として招いた状況のこと。で、この2つは対処法がまったく違う、というのがこの章の骨格になっています。 渋沢自身がどういう時代を生きたかを補足しておくと、幕末から明治という歴史的な激変期を、彼は当事者として経験している。幕府側に仕えていた人間が、維新の瞬間に「旧体制の人間」になるわけですよ。それって個人の努力でどうにもならない、まさに自然的逆境の典型で、渋沢はそれに対して「天命に安んじて努力を続ける」以外の策はないと述べている。ここは冷静だと思うし、諦めとも違う。 一方で人為的逆境については、渋沢はかなりはっきり言っています。「実は自分の不徳が原因のケースが多い」と。省みて悪い点を改める、という具体的な動作を求めている。気持ちの持ち方ではなく、動作として。 これを現代の場面で考えると、たとえばある事業が市場の縮小で苦境に立たされた場合、それは自然的逆境です。デジタル化で需要そのものが消えてしまった業態、というのは、個々の事業者の問題ではない。でも同じ業界で、顧客との約束を軽視し続けた結果として取引先が離反していった場合——これは人為的逆境です。見た目は似ていても、処方箋がまったく違う。自然的逆境に自己反省を求めても意味がないし、人為的逆境を「時代のせい」と言っていたら、何も変わらない。 [pause] で、ぼくがここで気になるのは、現代でこの訓話がどう使われているか、なんですよ。「逆境でも前向きに」というフレーズとセットで引用されることが多いし、あなたも一度はそういう使われ方を見たことがあるんじゃないですか。でもそれは、正直、骨抜きにされた読み方だとぼくは思っています。 渋沢がやっているのは「気持ちの持ち方」の話ではなくて、逆境の原因を診断する手順の話です。「自分のせいか、外のせいか」を先に仕分けしない限り、対処が逆になる。励ますより先に、原因を見極めろ、というのが渋沢の主張で、「前向きに乗り越えよう」で一括りにする使われ方は、渋沢が最も戒めた「診断なき対処」に近い、とぼくは読んでいます。 そこから導き出される「真の大丈夫」の定義も、よく言われるものとは少し違う。どんな逆境でも泰然としている人間が大丈夫なのではなくて、「これは外因か、自分の問題か」を冷静に見分けて、それぞれに正しく対処できる人間のことを渋沢は指しているとぼくは解釈しています。泰然として見えるのは結果であって、その前に診断がある。
今日の問いを置いておきます。今あなたが感じている逆境は、自然的なものか、人為的なものか——あなた自身はどちらだと思っていますか。そしてもう一歩踏み込むと、その判断自体が正しいかどうか、誰かに聞いたことがありますか。[pause] 自分で下した診断は、案外ずれていることがある。次回も『処世と信条』章の別の訓話を読み解いていきます。論語と算盤を読み解く、でした。
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