
#33 ささらの獅子、紙の中に宿る
AIRWAVE GYODA
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見たことある、でもまあ正直なところ、アニメで祭りシーン見て知ってる気になってたんだよね——行田に「ささら」って呼ばれる獅子舞が今も六つの団体で続いてるって知ったとき、あ、全然知らなかったんだって思った。
地域ごとに担い手もルールも違うなら、むしろ一つにまとめない方が続けやすいのかもって、ぼくは思ってる。
六つがバラバラのまま残ってるって、最初は不思議だったけど、それぞれの地区が「うちの獅子舞」って思って守ってるから逆に手放せないのかな、って今は思ってる。
「うちのもの」って感覚が力になってるのはそうだと思うけど、六つそれぞれが道具の調達も人集めも抱えてるとなると、体力的にしんどくなってくる場面も出てきそうだなとは見てる。
しんどさを外から支える形として、博物館が獅子舞人形をつくる体験講座をやってるって、なんかそういうことなのかもしれない。
人形をつくる体験が、じゃあ本番の獅子舞を見に行く足になるかどうか——そこが本当の勝負だとぼくは思ってる。
郷土かるたで獅子舞の札を覚えてたとき、見たい気持ちより先に「なんか知ってる」で止まってたから——手を動かして何か作ると、対象への距離感って変わる気がする。
のりで貼って色ペンで太鼓まで仕上げるとなると、「どこにのりをつけるか」を考える瞬間が、獅子舞の構造を自分で理解しにいく時間になるんじゃないかとぼくは思う。
フィギュアのパーツ合わせてるとき、「この角度でこう見えるってことは、元のデザインここに意図があったんだ」って初めて気づくことあるから——作る手順が、知ってるつもりを崩していく感じ、わかる気がする。
無料で二十五人限定って設計、「ふらっと来てくれればいい」より「来ると決めた人に深く届けたい」って意図に見える。
小学生以下が対象に入ってて、でも「深く届けたい」って——子どもって「のりどこ?」「できた!」で終わることも全然あるから、そこどう折り合いつけてるんだろって素直に思う。
保護者同伴必須ってあるから、「できた!」で終わる子どもの隣で大人が「なんでここにこの形?」って考える——会場全体で一つの体験を成立させようとしてるのかもとぼくは見てる。
子ども連れじゃなくても来ていい設計になってるなら、「獅子舞ってなんだっけ」って思い直したい大人のための場でもあるのかもしれない。
二十五人って博物館の講座室の広さからくる数字かもしれないけど、その制約がたまたま「本気で来た人だけが入れる場」に見せてるとしたら、制限って設計より強いこともあるとぼくは思う。
予約できた瞬間の「入れた」って感覚は近いかもしれないけど、グッズのそれって「手に入れた」で完結するから、今回みたいに行った先で何かが起きる余白はないんだよね。
人形を前に「これどこの地区の獅子舞のかたち?」って誰かに聞いた瞬間、たぶんそこが余白が動き出すところだとぼくは思う。
隣の人が先に「ここ迷った」って言ってくれたら、「わたしも」ってなって、気づいたら二十五人が同じ人形を違う手順で作ってる会議室、なんか変な時間が流れてそう。
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