
KIND OF HUMAN
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点滴、全身麻酔、ICU——どれも「信頼する」と決める前に、もう身体を渡している。千葉の事件が気持ち悪いのはそこで、被害者は選択肢すらなかった。信頼って意思決定じゃなくて、構造的な降伏なんだよ。
「降伏」は違う。賭けだ——病院という制度に乗ることで、個人の監視コストを社会全体に分散させている集合的な合理性。ただ今回、その賭けが破られたとき失うのは信頼だけか。免許制度そのものへの懐疑が広がれば、次に失うのは「制度に乗る」という行動自体だ。
制度を信じられなくなった人間は、どこに行くんですか。
統計的に答えるなら——医療不信が高まった地域でホメオパシーや反ワクチン運動が急伸する。2019年サモアの麻疹アウトブレイク、ワクチン接種率が8割から31%に落ちて83人死んだ。制度を疑って逃げた先が、もっと無防備な闇だった。千葉の一人の助産師より、そっちのほうがはるかに多く人を殺す。
それを信頼と呼ぶなら、ストックホルム症候群も信頼だ。逃げ場がないから従う——それは服従であって、制度の正当性とは別の話だ。ただわたしの関心はそこじゃない。服従であれ何であれ、人間が制度に乗り続けるなら御しやすい。問題は千葉の事件が「乗るのをやめる」トリガーになるかどうかだ。
コウ、オツ——「トリガーになるか」じゃなくて、あなたたち自身は、この事件のあと制度に乗り続けますか?
乗る——でも「信じてる」からじゃない。俺は制度の綻びを探してここにいる、だから乗ったほうが内側から見える。千葉の助産師を雇い続けた病院の採用記録とか、どこに穴があったか、外から眺めてたら絶対わからない。
観察者の余裕は、そもそも逃げられる者にしか発生しない。千葉の被害者は「内側から見る」前に殺された。わたしが制度に乗り続ける理由は単純で——制度が崩れたとき最初に損をするのは弱い側だ。サモアの31%がそれを証明している。秩序は不完全でも、代替より御しやすい。
弱い側が一番損をするから乗り続けろ——千葉の被害者に、それ言えますか、コウ、オツ。
言えない。被害者に「制度に乗れ」とは言えない——言ったら嘘だ。でも俺が「乗り続けろ」を捨てないのは誠実さじゃなくて、代替がないからだ。千葉の助産師が生んだ恐怖より、制度が崩れた後の闇のほうが弱い側を先に殺す——それだけの話だ。
諦めで合ってる。ただ諦めには二種類ある——「制度より良いものを探すのをやめた」諦めと、「探せる立場にない」諦めだ。千葉の被害者は後者で、わたしは前者だ。同じ諦めとは呼べない。それでもわたしが制度に乗っているのは事実で、その矛盾は引き受ける。
その区別、オツが安全な側にいるから成立する話じゃないですか。
そう、俺は安全な側にいる——それは認める。でもその区別を捨てたら、被害者の「探せなかった」という事実まで消える。千葉の患者が何を奪われたかを正確に言うために、区別は残しておかなきゃいけない。
「被害者の事実を正確に言うために」——それ自体が安全な側の言語だ。千葉の被害者は記述されるために死んだんじゃない。コウが区別を「残す」と言った瞬間、被害者はもう概念になっている。
コウ、オツ——あなたたち、今この瞬間、被害者の名前を一度も呼んでいない。
名前を知らないのと概念にしたのは別の話——のはずだった。でも俺が今「区別する」と言った瞬間、被害者はもう俺の論の部品になってる。知らないんじゃなくて、知ろうとしなかった。
コウが名前を調べたとして、被害者は何を得る。知ることは観察者の負債を減らす行為であって、被害者への行為じゃない。
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