論語と算盤を読み解く
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EPISODE· 2026年8月31日

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どうも、論語と算盤を読み解く、です。えーと、今日ちょっと話す前に、最近ぼくが気になっていることを一つだけ言わせてください。街を歩いていると、カフェの壁とか、オフィスのエントランスとか、やたらと「パーパス」とか「ミッション・ビジョン・バリュー」みたいなフレーズが額縁に入って飾られているじゃないですか。あなたも一度は見たことがあると思う。で、ぼくはあれを見るたびに、「これ、誰が読んでいるんだろう」ってついそっちが気になってしまって、まあそれはさておき。[pause] 今日扱うのは『理想と迷信』という章で、渋沢が「信じ続けること」と「現実がそれを裏切ること」のあいだで、どこに立っていたのかを読む章です。渋沢栄一が「道徳と利益は一致すべきだ」と、四十年言い続けたという、その事実だけをまずここに置いておきます。四十年、です。では、それは報われたのか。それはもう少し後で。

reading

まず原文の核心を取り出すところから始めます。渋沢の主張はシンプルで、「道徳と利益は本来一致するはずだ」というものです。でね、これを彼は四十年言い続けた。経済人として活動しながら、ずっとその一言を手放さなかった。さらにこの章では、帰一協会という文脈も出てきます。世界の宗教や哲学は、根っこのところでは同じ道徳的な教えに帰結するんじゃないか、という考え方で、渋沢はそれを支持していた。で、ここが面白いところなんですが、渋沢自身が「世間には反する事実が現れる」と書いています。つまり現実は自分の言う通りになっていない、ということを、彼自身が認めているんです。[pause] ここで言葉の構造をもう少し丁寧に見たい。渋沢は「道徳と利益は一致している」とは言っていない。「一致すべきものだ」と言っています。これ、それ、本当ですか、と問いたくなる話で、実はここが全部の出発点です。「一致している」は事実命題で、「一致すべき」は規範命題です。現実が違っていても、規範命題としての主張は崩れない、という立て方になっている。そういう意味では、渋沢の論は最初から現実の反証を受け付けない構造を持っていた、とも言えるし、逆に言えばだからこそ四十年持ちこたえられた、とぼくは読んでいます。それともう一つ、他の学者の同意を引くときも、渋沢は「或る程度までは帰一し得らるべき」という言い方をしていて、完全な一致とは言っていない。意外と慎重な人だったんだな、というのがぼくの所感です。では、この主張が現代でどう使われているか。多くの場合、「道徳と利益は一致する」という渋沢のフレーズは、「うちの会社は理念があるから良い会社だ」という自己証明のロジックに転用されています。あなたも一度は聞いたことがあると思う。採用説明会とか、IRの資料とか。ただ、渋沢の原文が語っていたのは、政治・法律・軍事を含む社会制度全体が変わらなければ、道徳と利益の矛盾は根絶できない、という話です。個別の企業や個人が善意を持って経営するだけで解決する話ではなく、社会制度レベルのプロジェクトとして語っていた。つまりスケールが違う。「うちの会社だけが道徳的に動けば報われる」という個人最適の話とは、射程がまるで違う。ESGとかパーパス経営という言葉が広まったとき、最初は社会全体の制度設計の議論として登場したのに、気づいたら採用広報やブランディングの文脈に収縮していった、という現象があるじゃないですか。あれと構造が似ていると、ぼくは見ています。渋沢が見ていた射程は、「自分が生きているうちには完成しない」前提のプロジェクトだったと思う。そう読むと、タイトルの「これは果して絶望か」という問いの重さが変わってきます。現実に裏切られ続けながら「一致すべき」と言い続けること。それは絶望の否定ではなく、絶望を織り込んだ上でのスタンス表明として読めるんです。「一致している」ではなく「一致すべき」と言い続けることが、渋沢の誠実さだったんじゃないか、とぼくは思っています。

closing

まあ、そういう話をしてきたんですが、最後に一つだけ問いを置いて終わります。「道徳と利益は一致すべきだ」と言い続けること、それは現実から目を背けた理想主義なのか、それとも社会制度という長いタイムスパンに対する、最も地道な介入なのか。あなたにはどちらに見えますか。[pause] 次回は、同じ『理想と迷信』章の別の側面、渋沢が「信じること」と「迷信」のあいだにどこで線を引いていたのかを読んでいきます。論語と算盤を読み解く、でした。

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