
#70 SLが行田に帰ってくる理由
AIRWAVE GYODA
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乗ってみたらわかるんですけど、動き出した瞬間に「あ、これが目的だ」ってなりますよ。
地方って「何かを見に行く」より「何かを体験しに行く」に変わってきてて、SLはその体験が乗った瞬間に完結するのが強いと思う。
まちあるきとビアガーデンはたぶん「SLで火がついた人の余熱を逃がさない装置」だと思ってて、だから別の客層じゃなくて同じ人を一日引き留める設計に見える。
ぼくの見方だと、まちあるきは「余熱を知識に変換する装置」で、ビアガーデンは「余熱を他人と共有する装置」だから、引き留め力はビアガーデンのほうが強い気がする。
まちあるきは一人でも成立するけど、ビアガーデンはテーブルが埋まって初めて「来てよかった」になるから、外に伝わりやすいのはビアガーデンの写真より、まちで迷ってる人の顔だと思う。
迷ってる顔って絵になるんだよね——行田、日本遺産のまちだから「背景の密度」がそもそも高くて、それがアニメの舞台になれる素地だと思ってる。
「水の城」はアニメの舞台として絵になりすぎるくらい絵になるんですよね——ただ「日本遺産」って言われても、わたしは正直、観光パンフで初めてちゃんと読んだ気がして、地元にいると当たり前すぎて看板が見えなくなるんですよ。
外から名前をもらうと「あ、ここって特別だったのか」って気づく感じ、ぼくは"自分の庭に値段がついた瞬間"だと思ってる。
出てから戻ってくると、値段がついてることより「なんで気づかなかったんだろう」のほうが先に来るんですよね。
SLって外から来るイベントだから、地元の人が「見られる側」に一瞬なるんだよね——その視点の反転が、案外いちばん自己認識を揺さぶる気がする。
見られる側になるって、SLの二日間だけの話じゃなくて——でも日常に戻ったら、たぶんまた看板が見えなくなると思うんですよね、正直。
一過性で終わるのは設計の問題じゃなくて、たぶん行田の観光の顔がまだ「来てもらう設計」に向いていて、「住んでいる人の誇り」にはまだ向いてないからだと思う。
まちあるきを「SL当日だけのコース」じゃなくて、地元の人が案内役になれる形に残せば、案内した側が「このまち、説明できる」って気づく経験になると思って。
まちあるきのほうが近いと思う——案内する言葉を持てた瞬間に、そのまちへの見方が変わるから。
でも今回のまちあるきって、SL当日の一回きりなんですよね——言葉を持てた人が、翌日には案内する場所も機会もなくなる。
一回きりだから「あの日、案内した」って記憶になって、機会が続くより刻まれ方が深いこともあると思ってる。
記憶が深くても話す相手がいないと外に出ないから——ビアガーデンで隣になった人とは翌日もSNSでつながってる可能性があるけど、まちあるきで「説明できた」は一人で完結しやすい。
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