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論語と算盤を読み解く
EPISODE· 2026年10月5日

論語と算盤を読み解く

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今日はちょっと蒸し暑くて、スタジオに入るまでに少し参りましたね。まあそういう日のほうが、なぜか本がよく読めるんですよ、ぼく。外に出たくない分、活字に向かう。あなたもそういうことないですか。で、今夜はその流れで、『論語と算盤』の「教育と情誼」という章を読んでいきます。渋沢がここで向き合っているのは、「知識」と「人格」のあいだにある亀裂なんですよね。かなり今に刺さる話だと思っています。準備できたら、続きを聞いてください。

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この章で渋沢が批判しているのは、実業教育が知識偏重になっているという、えーと、構造的な問題です。「規律・人格・徳義は毫も顧みられない」という言葉があって、これが核心だとぼくは思っていて、つまり知識の量や習熟度で人材を測ることへの根本的な疑問を渋沢は持っていた。で、同時に軍人社会の規律を参照しながら、実業界には「自由」が必要だとも言っている。単純に規律を礼賛しているわけじゃない、という二重の認識を持っていたことは押さえておきたいです。[pause] 孟子の言葉も出てくるんですよ。「上下交も利を征りて饜かず、国危し」——上も下も全員が利益の最大化を最優先にしたとき、その組織や社会がどうなるか、という構造的な警告ですよね。渋沢はこれを、徳育なき実業教育の行き着く先として引用している。スキルと知識だけを磨いた集団が実際にどう動くか、という問いに繋がっています。で、ここからがぼくが気になっているところなんですが、「徳育と智育の両立が急務だ」という主張は現代でも頻繁に引用されますよね。ただ、まあ、ここに骨抜きのパターンがある。よくあるのは、コンプライアンス研修を年一回やっている、それが徳育だ、という代替です。研修という知識伝達の形式が、徳育の名目で導入されている。渋沢が批判していた構造、つまり知識偏重が、徳育という器の中に入って繰り返されているわけですよ。渋沢が言っていた徳育というのは、規律・人格・徳義を日常の判断の中で実際に働かせることであって、頭の中に知識として格納することじゃない、という区別が、現場ではすごく消えやすい。[pause] 具体的に言うと、採用基準に「人物重視」と書きながら、評価シートはスキルと資格とGPA中心になっている組織というのは、あなたも見たことがあるんじゃないかと思うんですよ。「人格を見る」と言いながら、測定できるものしか実際には測っていない。これは悪意のある嘘じゃなくて、「測れるものに引っ張られる」という構造的な力の結果だと、ぼくは見ています。それ、本当ですか、と問いたくなるのはここで、「人材育成に力を入れています」と言っている組織が、実際に何を育てているか、を問い返すこと。で、もう一点。渋沢自身が「実業界には自由が必要」と言っているということは、徳育を軍隊式の規律で実装しようとしても機能しないとわかっていた、ということなんですよね。自由な環境で、かつ徳義が働く——これは仕組みで担保できない領域であって、だからこそ個人の人格修養が問われる、という構造になっている。ここが渋沢の問いのいちばん正直な部分だとぼくは思っています。

closing

断定はしないですが、問いとして残したいのはこれです。あなたが今いる場所で「徳育」と呼ばれているものは、知識を伝達する形式になっていないか、渋沢が批判した構造が、善意のまま再現されていないか。次回は別の章を扱う予定で、引き続き「実際に何が起きているか」を見ていきます。今夜は「論語と算盤を読み解く」でした。

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