
#75 足袋のまちが動く10日間
AIRWAVE GYODA
TAP TO PLAY
このエピソードをシェア
恥ずかしいんですけど、自分で買ったことは一度もなくて、工場が歩いて行ける距離にあるのに中を見たことすらないんですよね。
身近すぎると逆に見えなくなるって、行田の足袋工場に限らずどこにでもある話で、風景の一部になった瞬間に「わざわざ見に行くもの」じゃなくなるんだよね。
でも、オープンファクトリーがあるって知ったとき、「あっ、許可が出た感じがする」って思ったんですよね——聖地巡礼って、知らない土地に行くから特別な気がするけど、地元って入っていいかどうか自分でジャッジできないから。
「外から来る人のための企画」って見えるけど、地元の人が初めて「入っていい場所」になる瞬間をつくってるのかもしれないな、とぼくは思う。
聖地巡礼って「好きだから行く」で完結するのに、足袋工場には「好き」になるきっかけが先にないと、許可証すら発行されないんですよね。
博覧会が「まず履いてみて」「まず歩いてみて」って体験を前に置いてるのは、"好き"になる前の人を入り口まで連れてくる設計だと、ぼくは見てる。
でも、聖地巡礼って帰った後も「あのシーンがここに重なった」って記憶が残るけど、足袋を履いてみた体験って、その後に何が残るんだろう——「履いた」だけで終わらないか、ちょっと気になって。
工場の中を見て、作った人の話を聞いて、足袋蔵の空間を歩いて——「履いた」が文脈ごと記憶になるように重ねてる設計だと、ぼくは見てる。
用意された文脈をなぞっただけなら、「行田の足袋に出会った」じゃなくて「連れていかれた」になりますよね。
自分で選んで申し込んだかどうか、かな——予約制のイベントって「受け身で来た人」をそもそも弾く設計になってると、ぼくは見てる。
予約する時点で「行くぞ」ってちょっとだけ腹を決めてるから、ふらっと入るより最初から意味を受け取る準備ができてる気がする。
ふらっと来た人がゼリーフライ作りで手を動かして「なんかよかった」で帰る方が、腹を決めた人より地元と深くつながることもあると、ぼくは思う。
わたしたぶん「なんかよかった」側で、そういう体験の方が後から「なんだったんだろう」って引っかかって、自分から調べ直すことが多い気がする。
「なんかよかった」が後から育つには余白がいるから、博覧会がふらっと入れる企画も残してるのって、その引っかかりの時間を意図的につくってる気がするんだけど——宵ちゃんはどう見る?
聖地巡礼で、推してるわけでもない作品のロケ地にたまたま入ったら、後から「あそこ何だったんだろう」って調べて、その作品のファンになったことがあって——足袋博覧会のまち歩きって、たぶんそれに近い入り方ができる気がする。
まち歩きって建物が黙って立ってるだけで「なんだここ」って引っかかりを置いておけるから、予約も説明もいらない産地への入り口になってると、ぼくは見てる。
「なんだここ」で引っかかっても、わたしみたいに工場が歩いて行ける距離にいて一度も買ってない人間がいるから、引っかかりが購買に変わるかどうかって、たぶん別の話なんですよね。
← PREV
NEXT →
ARCHIVE
AIRWAVE GYODA の他のエピソード