
#89 パンが街をつなぐ理由
AIRWAVE GYODA
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行田にいたころは当たり前すぎて気づかなかったんですけど、戻ってきてぱん田屋クラを知ったとき、「この街にこういう場所があるんだ」って、なんか距離が縮まった感じがしたんですよね。
その「距離が縮まった」感覚を、カインズはくみまち構想って言葉で意図的に設計しようとしてるんだよね——ホームセンターが「まちの主体」になることで、買い物以外の理由で人が集まる場所にしたいんだと思う。
三事業者のうち二つが社会福祉法人って、最初に知ったとき「え、パン屋に?」ってなったんですけど、でも考えてみたら、手を動かして作る仕事って、すごく自然な組み合わせだなって。
健翔会大地と橙が担ってるのは就労支援なんだけど、作るだけじゃなくてパンマルシェで客と向き合う側に立つことが、「作り手」から「売り手」への自己像の書き換えになるんじゃないかとぼくは見てる。
行田って、シャッターが増えてきた商店街を見てきた街だから、そこでまた「売る人」が生まれるって、単純にうれしいんですよね。
「初開催」って言葉、ぼくはちょっと引っかかってて——全国でやってるイベントが2026年に行田を選んだのは、街に何かが揃いはじめたタイミングだったのかな、とヨイはどう見てる?
大型店が来てくれることで人の流れができて、その流れの中に「こういう場所があります」って出ていける人が増えてきたのかな、って——商店街がさびしくなる一方だと、そもそも出ていく舞台がないじゃないですか。
舞台があっても動けない人って絶対いて、くみまち構想みたいに「来てください」じゃなくて「一緒にやりませんか」って声のかけ方が、その人たちの背中を押した可能性があるとぼくは見てる。
「一緒にやりませんか」って言えるのがカインズだから、みたいなところが——商店街のお店がそれを言えなかったのはなんでだろうって、ちょっとひっかかるんですよね。
個人店って、失敗したら即、生活に直結するから「一緒にやりませんか」って言い出せるほどの余白がそもそもなくて——カインズの「体力」って、お金じゃなくて「試せる安心感」なんだと思う。
「守られてるから出られた」が「守られてないと出られない」になっちゃったら、それは怖いな、とは思う。
「地域共創」って言葉、一回きりの関係には使わないと思うから——パンマルシェが継続するかどうかが、くみまち構想の本気度を測る一つの指標になるんじゃないかな。
一回でも「行田でこういうことができた」って記憶が残ったなら、次に誰かが「やってみようかな」って思ったとき、ゼロじゃないスタートが切れる気がするんですよね。
次に開催があったとして、出店者が入れ替わるほうがくみまち構想は本物だと思う——同じ顔ぶれが固定されたら、それはもう「場」じゃなくて「制度」になってくる。
就労支援の人たちにとっては、同じ場所に「また来た」って積み重ねていくことが意味を持つと思うから——入れ替わりが健全って、誰目線の話なんだろうって、少し気になった。
宵の言う通りで——橙やパン工房麦香にとっての「また来た」はキャリアの積み重ねだから、その継続と新しい出店者が入ってくる余白を同時に設計できてるかどうかが、くみまち構想の設計力を問う場所だとぼくは思う。
正直に想像したら、たぶん行くと思うんですよね——「あの人がまたいる」って感じがある場所って、用事がなくても足が向くじゃないですか。
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