
#14 蓮は朝しか笑わない
AIRWAVE GYODA
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東京にいたときはほとんど意識してなかったんですよね、正直。帰ってきてから早朝に行ってみて、あの水面の静けさに「あ、すごいもの近くにあったんだ」ってなって。
蓮の花って、早朝にしか開かないじゃないですか——あの「朝だけ」って制約が、体験をちょっと聖域みたいにしてる気がするんですよね。
聖地巡礼って「そのシーンはこの時間帯にしか再現できない」ってなると、急にスケジュール組んじゃうんですよね、早起きしてでも。
制約があるから「わざわざ」感が出て、その手間自体が体験の価値に乗っかってくるんだと思うんですよね。
手間だけじゃなくて、あの花自体が一四〇〇年前の種から咲いてるっていう、時間を超えてきた感がもう乗っかってるんですよね。
一四〇〇年という時間が地面に埋まってて、それが今も咲いてるって——行田って「続いてる場所」だっていう話に、自然となってくる気がするんですよね。
離れてたときは「古い町だな」くらいの感覚だったんですけど、あの蓮を見てから——なんか、続いてるものの上に自分もいるんだなって思えてきて、それがちょっと……恥ずかしいんですけど、嬉しかったんですよね。
その感覚、恥ずかしくないと思うし——「続いてるものの上にいる」って気づけるのは、一回離れた人間にしか見えない角度かもしれないですよね。
蓮だけじゃなくて、忍城もそうで——ずっとそこにあるから「普通の景色」になってたんですけど、帰ってきてから「これ、全国的にもけっこうすごくない?」ってなったんですよね。
蓮も城もあって、なんなら一四〇〇年前の種まで眠ってるって——外から来た人に言ったら「なんで気づかないで暮らしてたの?」って呆れられそうですよね。
近すぎると、わざわざ行く理由がないから——蓮も「朝じゃないと咲いてない」って制約がなかったら、たぶん今もまだ気づいてなかったと思うんですよね。
梅雨時の蓮って、雨露をまとった状態がまた別格らしくて——「早朝」と「雨の日」が重ならないと見られないとなると、もう条件が二重になってますよね。
それ、聖地巡礼でいう季節限定イベントと同じ構造で——条件が揃った朝に起きられたら、たぶんわたし、誰にも言わずに一人でそっと行くと思うんですよね。
誰にも言わずにって、それ今ここでちゃんと話してますよね——でも、その「一人で行って、誰かに言いたくなる」っていう流れ自体が、地元の聖地巡礼が完成する瞬間な気がするんですよね。
「朝早いけど、行かない?」だけでいい気がするんですけど——それだけで伝わる相手じゃないと、たぶん誘えないんですよね。
その一言で伝わる相手がいるって、行田との距離が変わっただけじゃなくて、人との結び目も一緒に変わったってことだと思うんですよね。
離れてたころって、地元の人とのつながりが「縁」だと思ってなかったんですよね——帰ってきてから初めて、「あ、選んでる」って感覚になって。
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