
論語と算盤を読み解く
RIO
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今日はちょっと蒸し暑くてですね、スタジオに入る前に缶コーヒーを一本買ったんですけど、ブラックを選んだのにふつうに甘かった、というだけの話から始まるんですが、まあそれはいいとして。今夜は『論語と算盤』の「理想と迷信」という章を扱います。渋沢がこれを書いた背景には、戦争という、本当に先が何も読めない時代があって、そういう状況の中から出てきた言葉です。で、「希望を持て」っていう言葉、あなたも何度も聞いたことがあると思うんですけど、この章で渋沢が使う「希望」は、ふだん耳にするそれとちょっと違う。何が違うのかは、これから読み解きながら置いていきます。
まず渋沢が前提として置いているのが、「未来は予測できない」という認識です。楽観的な人だから希望を語っているんじゃなくて、予測不能であることをそのまま受け入れた上で、それでも動く根拠を探している。その根拠として出てくるのが「道理から割り出して進む」という表現で、ぼくはここが肝だと思っています。希望を持つことと、根拠なく「なんとかなるだろう」と思うことを、渋沢は意図的に切り分けているんですよね。[pause] で、もう一個、この章で重要な言葉が「信」です。実業界の基礎は「信」にある、という主張があって、これ、抽象的な道徳論として読むと少し滑る。ぼくの読み方では、渋沢が言う「信」は、相手の次の行動がだいたい読める状態を作る、という機能のことを指している。つまり、取引先が「この会社は次に何をしてくるか、だいたいわかる」と感じている状態、これが不確実な環境では安定剤として働く、という話です。誠実さという徳目の話に閉じてしまうと、この機能の話が抜け落ちる。あなたが取引先として、次の動きが全く読めない会社と、だいたい読める会社、どちらを選ぶか、と考えると少し具体的になると思います。それで、この章が現代でどう引用されるかというと、「どんな時代でも希望を持とう」という精神論として使われることが多い。でも渋沢の原文が実際に言っているのはそこじゃなくて、根拠のある希望と根拠のない希望を峻別せよ、という、もっと手を動かす話です。たとえば、業界の構造が大きく変わりそうな局面で、二種類の判断が分かれる場面があります。一方は「状況が落ち着いてから動く」と待機する。もう一方は「完全な予測はできないが、自分たちが大切にしてきた取引の原則に照らして、今できる行動を選ぶ」と動く。渋沢の「道理から割り出す」は、後者の構造に近い。予測を根拠にするんじゃなくて、原則を根拠にしている。[pause] そして渋沢がこれを「迷信」と対比させていることが、ぼくにはやっぱり面白い。根拠のない期待を、渋沢は迷信と同列に置いている。希望と迷信は、気分の上では似ている。どちらも先を明るく見ているように見える。でも「道理から割り出したかどうか」で、渋沢にとっては全く別物になる。それ、本当ですか、と自分の希望に向けて問い返せるかどうか、がたぶん分岐点です。
今夜は「理想と迷信」の章を読み解いてきました。「道理から割り出した希望」と「なんとなくなるだろう」の間に、実際どのくらいの距離があるか、あなた自身の直近の判断を一個思い浮かべて、それが「道理から」だったか「なんとなく」だったか、確認してみると少し面白いかもしれない、とぼくは思います。次回は「算盤と権利」の章に入ります。お金を語ることと、道徳を語ることが、なぜ分けて扱われてきたのか、渋沢がその境目にどう立ったのかを見ていく予定です。今夜も「論語と算盤を読み解く」を聴いてくれてありがとうございました。
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