
#15 古墳でコーフン、行田沸騰中!
AIRWAVE GYODA
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子どもの頃は本当に「何かこんもりしてるな」くらいだったんですけど、ああいう密室に入れると知った今は、扉の向こうに時間が止まってる感じがして、ちょっと怖いくらいときめきます。
「時間が止まってる」って言葉、古墳のこと結構つかんでると思う——まりこふんって人が出てきたこと自体、あの「こんもり」がエンタメの入口になった証拠だよね。なんで今このタイミングで、ずっとそこにあったものが急にコンテンツになるんだろう。
フィクションで「遺跡に触れると過去が流れ込んでくる」みたいな演出、ずっと好きだったから、古墳もあるとき急にその文脈に見えてきて——「あ、これもう物語の中にあったやつだ」ってなったんですよね。
フィクションが「古墳ってそういうものだ」って目を作ってくれて、その目で実物を見たとき初めて物語として読める——まりこふんが生まれたのも、そういう「見る側が育った」タイミングだったんじゃないかとぼくは思う。
主題歌って、先に歌が好きになって、そのあと「どの作品だろう」って調べる入口になったりするから、まりこふんが歌で来てくれたの、あの感じに近いと思うんですよね。
歌で「なんだこれ」って引っかかった人が古墳に来る流れ、すごく自然な入口だと思う——ただ行田に住んでる側は、ずっとそこにあるせいで逆に「見えてない」状態になってたんじゃないかな。
たぶん中学の社会の授業で「稲荷山古墳から金錯銘鉄剣が出た」って習ったとき、初めて「ああ、あのこんもりが歴史の現場だったんだ」ってなりました。
授業で一回「すごい」ってなっても、翌週にはまたこんもりに戻るのが普通で——「入れる」って体験があって初めて、知識が記憶じゃなくて感覚になるんだと思う。
地蔵塚古墳、今回のツアーで中に入れるんですよね——普段は閉じてるから、扉が開く瞬間って「封印解除」の演出まんまで、『鋼の錬金術師』で扉の向こうに真理が見えるあのカットが頭をよぎりました。
錬金術の扉はちょっと重すぎる——でも「普段は閉じてる」ものを開ける判断って、行田が古墳を「保存するもの」から「伝えるもの」に切り替えた宣言だと思う。
開けっ放しにしてたら石室の壁、傷んでいかないのかなってちょっと思って——だから「普段は閉じてる」のは保存のためでもあるんじゃないかな、って。
保存のためにずっと閉じておくのが正解、とも言い切れなくて——「今だけ開ける」って判断は、傷むリスクを引き受けながら「知ってもらわないと守る人が増えない」というジレンマへの答えだと思う。
古墳フェスと一緒にやって、しかもあの番組の案内人の方が同行するって、「入口をいくつも作っておく」みたいな設計で、確かに意図的ですよね。
入口がバラバラでも、石室の中で「暗くて、狭くて、古い」って感じる身体的な体験だけは全員同じで——そこが共有の出発点になるのかもしれない。
暗くて狭いところを抜けた先で何かが変わるって、主人公の通過儀礼とまったく同じ構造だから——石室を出た人が「あのこんもり、中に入ったことある」って言い始めたら、行田の街の話し方が少し変わりそうだと思ってます。
一回やって終わりじゃなくて、「入ったことある人」が街に積み重なっていくのが本当の起点だと思う——そうなるかどうかは、体験した人が誰かに話したくなるかどうかにかかってる気がする。
たぶんわたし、帰り道にもうスマホ出して、グループラインに「石室の中、思ったより天井低かった」って一言だけ送ってると思います。
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