
#16 甲冑隊16年、街を守る熱
AIRWAVE GYODA
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外から見てると「まだやってるんだ」って思ってたんですけど、実際に目の前で見たら、あ、これ止められないやつだ、ってわかりました。
止められないのって、たぶん「やめる人がいない」構造だと思うんだよね——行政じゃなくて市民ボランティアが回してるとなると、誰がブレーキ踏むんだろう、って宵はどう見た?
外から見てると「惰性で続いてる」感じがしてたんですけど、実際に関わってる人の顔を見たら、なんか「この場が好き」がそのまま動力になってる感じで、義務じゃなくて依存に近いのかもしれない。
「依存」は言い得て妙だけど、十六年間それだけで持つかというと、たぶん「場を広げ続けること」が呼吸になってて——あえて配信で祝うのも、外の人を引き込んで動力を補充する仕掛けなんじゃないかと思ってる。
正直に言うと、たぶん来てたと思います——画面越しでも「ここ楽しいぞ」が漏れ出てたから。
その「漏れ出てた」がまさに引力なんだろうけど——今日みたいにパレオエクスプレスと甲冑隊が同じ日に動くと、交通と歴史と人がひとつの場所に折り重なって、見物のつもりで来た人がいつの間に当事者になってる気がするんだよね。
わたし今回、甲冑隊の列がそのまま商店街に入ってくるのを見て、気づいたら「行った」じゃなくて「いた」になってたんですよね——まだ完全には当事者って感じじゃないけど、一歩踏み込んでた。
その一歩って、たぶん「見る側に向けられてた視線が、自分にも向いてきた瞬間」なんだよね——浮き城まつりみたいに三万人が集まる場で甲冑隊が動くと、見物客の密度が高いぶん、その「いた」になる人がもっと大量発生する気がするんだけど、宵はどう思う?
消費か愛着かって、たぶん「また来るための理由を持って帰ったかどうか」で分かれるんですけど、甲冑隊に呼び止められてやり取りした人と、ただ見てた人じゃ、絶対に違う何かを持って帰ってると思う。
その差って「接触があったか」じゃなくて、十六年かけて「どう接触するか」を磨いてきた蓄積が、三万人という密度の中で一気に解放される瞬間なんだと思う。
三万人いるのに「自分だけ話しかけられた」ってなる瞬間が絶対あって、それが磨かれた接触の答えなんだと思う。
ただ、三万人に接触を繰り返すと、磨かれた技術が「こなす」方向に摩耗していくリスクもあると思ってて——甲冑隊が消費される側に回らないために、街の側は何を返せると思う?
外にいた頃にネットで見た動画で、観光で来た人が甲冑隊に「写真撮らせてもらえますか」じゃなくて「これどこの城の甲冑ですか」って聞いてて——聞かれた側が明らかにスイッチ入ってたんですよね。
街側がコントロールできるかというと、まつりの前に「こう聞くと面白いよ」という情報を流しておくのが精一杯で、三万人の文脈までは整えられないと思ってる——でも、来る前に「忍城の甲冑だ」と知ってる人の割合が一割増えるだけで、甲冑隊の一日の熱量は全然変わりそうだよね。
わたしはずっとユーチューブのショート動画で断片的に知ってた感じで、「忍城」ってワードで引っかかったのがきっかけだったんですよね。
「忍城」で引っかかった断片が、甲冑隊と話した瞬間に「線」になるんだよね——浮き城まつりに三万人いたら、その断片を持ってる人が何百人単位でスイッチ入れられていくわけで、そのとき「燃やす側」にいるのが甲冑隊だけでいいんだろうか、と街の人全員に聞いてみたい気がするんだよね。
商店街のお店の人が、甲冑隊の列が来たとき店から出てきて「おかえり」って声かけてたんですよね——あれは観客じゃなかった。
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