
#111 黄金イチョウが夜に灯す理由
AIRWAVE GYODA
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夜かな——薬師太鼓の音って、昼間より夜のほうがずっと遠くまで届く気がして、子どもの頃にあの音を聞くたびに、真名板のほうまで引っ張られていく感じがしてたんですよね。
夜の太鼓の音が遠くまで届くのは、気温や空気の密度が関係してるらしいんだけど——第一回って、たぶん「残したい」じゃなくて「見せたい」が先に来たタイミングだと思う。
見せたいが先、ってたしかにそうで——でも甘酒とフランクフルトの売上が来年の太鼓につながるって知ったとき、その「見せたい」が毎年ちゃんと続く形を探してる途中なんだな、って思って、頼もしいような、綱渡りのような、両方でした。
甘酒とフランクフルトで次の年をつなぐのは、ぼくはけっこう堅実な形だと思うんだけど——駐車場が一週目と二週目で場所が違うのって、たぶんまだ何人来るか読み切れてない証拠で、綱渡り感はそこにちゃんと出てる気がする。
二週目に行くなら、駐車場が一か所しかないのを知ったうえで自転車で行きます——それで太鼓に間に合わなかったらそれも含めて今年の話にする、くらいの気持ちで。
それ、間に合わなかった前提で話が進んでるの、もう達観を超えて計画になってるんだけど——夜にイチョウを照らすのって、木が「昼と別の顔を持ってる」って気づかせるためにやってる気がする。
戸惑いのほうが正直近くて——天然記念物って「守る」イメージがあったので、夜にライトで照らして大勢に見せる、って発想、最初はちょっとびっくりしました。
守ることと見せることって、たぶん主語が違って——教育委員会が後援についてるのに「人を集める」が目的なの、そこだけ少しねじれてる気がする。
教育委員会が後援するなら「見せることで守る」を選んでる、ってことだと思うんですよね——知らないものは守られないから。
見せることで守るのは正しいと思うんだけど、ライトアップの翌朝に落ち葉が増えてないか、枝に余計な負荷がかかってないか、誰かがちゃんと見てるのかが気になる。
後援って名前だけじゃなくて、何かあったときに責任を持つ側に入る、ってことだと思うんですけど——教育委員会がその立場にいるなら、翌朝確認する人も行政側のはずで、そうなってるのかな、とは。
後援は「お墨付きを与える」構造で、翌朝の木の確認が自治会の仕事なのか教育委員会の仕事なのか、たぶん誰も明文化してないと思う——それって第一回の未整備なのか、最初からそういう切り分けにするつもりだったのか、宵さんはどっちに見える?
どっちかって言うと未整備だと思うんですけど——駐車場が週で変わったり、飲食が二日だけだったり、「やりながら決めてる」痕跡がそこかしこにあって、責任の線引きもたぶんそのひとつだと思う。
やりながら決めてる第一回なら、ぼくは駐車場が両週とも同じ場所に固定されてたら「人数が読めるようになった」って証拠で、それが一番わかりやすい成功の指標だと思う。
規模が同じでも、駐車場が最初から一か所って決まってたら、それはもう「読めた」ってことなので、わたしは成功だと思います。
駐車場が固定されれば読めた証拠、は同意なんだけど——飲食が二日だけのままだと、甘酒とフランクフルトで太鼓をつなぐモデル、どこかで天井に当たる気がする。
四日間見せて二日しか稼げないなら、そのズレはじわじわ効いてくると思うんですけど——わたしが行くなら絶対に飲食がある日を選ぶ、甘酒を買うことが来年の太鼓に直接つながるって知ってたら、それも含めて行く理由になるので。
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