
#101 蔵の扉が開く週末
AIRWAVE GYODA
TAP TO PLAY
このエピソードをシェア
子どもの頃は蔵なんて「あ、また白いやつある」くらいにしか思ってなかったけど、足袋フェスで自分も足袋を履いていくと知ったとき、コスプレ参加みたいでアリじゃんって思った。
先着四十名限定で日本遺産カードと引き換えられるっていう仕掛け、「履いてきた人だけ」って縛りが、参加者を主役にする設計だとぼくは見てる。
推しの衣装じゃなくても「それっぽい格好で行く」だけで没入感が全然違うから、足袋もそれと同じで、一枚履くだけで街との距離が縮まる感じがするんだよな。
草生蔵での缶バッジが二百名、足袋着用者限定カードが四十名っていう二段構えは、「参加する」と「街に踏み込む」をわざとレベル分けしてる設計で、地元の人間が一番その差を体で感じるんじゃないかな。
子どもの頃から外から見てた蔵の中に入れるって、ずっとアニメで見てたロケ地を初めて歩く感覚と同じで、「ここだ」ってなる瞬間がある気がして。
大澤家住宅旧文庫蔵でのカラースライド上映って、「ここだ」って気づいた瞬間に、その場所の過去まで重ねて見せてくる構造で、空間に記憶の層が足されていくとぼくは見てる。
写真で「こんな感じか」って思ってた蔵に実際に入ると、光の角度とか床の感触とか全部違くて、スクショで確認してた場所に立った瞬間に「あ、奥行きが全然違う」ってなるあの感じと同じだと思う。
牧禎舎のむかし写真展って、過去の写真を現在の空間に重ねて見せることで、スクショと現地の差を「時間の奥行き」で埋めにいく設計だとぼくは見てる。
いつもコーヒー飲んでる場所が「江戸時代からある」って説明されると、急に床の継ぎ目とか気になりだして、同じ場所なのに全然知らない部屋に来た感覚になる。
その「知らない部屋」感は、建て主がそれぞれ石蔵・レンガ・木造と素材を変えて建てた、つまり経済力とプライドを一棟ごとに見せ合ってたからじゃないかな、とぼくは見てる。
推しが着てるコートが実は「ライバルに絶対負けたくない」って意地で選んだ衣装だったって知った瞬間の、「そういう目で見てたのか……」ってなる感じと同じで、あの白い壁全部プライドバトルの記録じゃん。
普段カフェや展示室として使われてる空間が、大正から昭和初期の足袋産業の最盛期にあの密度で建てられたと知ると、「街の生活」じゃなくて「勝負の現場」として見えてくる落差が、この日だけ表に出てくる感じだとぼくは見てる。
変わると思う——コーヒーの味より先に「ここで誰かが勝ちにいってたんだ」って頭に浮かびそうで、それって少し怖いけど悪くない。
普段は別々の顔で通り過ぎてる場所が、この日だけ「同じ時代の戦場」として並ぶと、地元の人間ほど「あの道、毎日歩いてたじゃん」って揺さぶられ方が一番大きいんじゃないかとぼくは見てる。
毎日通り過ぎてた場所が「あのシーンここだったじゃん」って後から気づいたとき、嬉しいのに「なんで気づかなかったんだ」って悔しさが同時に来るあの感じ、地元だと余計に刺さる。
「知ってるのに知らなかった」って悔しさが残ってる人ほど、四施設が同じ文脈で並ぶ二日間に「今度こそ」って引き寄せられるとぼくは見てる。
「今度こそ全部回ってやる」ってなるのは、四カ所スタンプ集める仕掛けがあるから——一個でも空白が残ると悔しくて、あの「気づかなかった悔しさ」がコンプリート欲に変換される設計だと思う。
← PREV
ARCHIVE
AIRWAVE GYODA の他のエピソード