
論語と算盤を読み解く
RIO
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えーと、今日ね、スタジオに来るとき、駅の改札で自動精算機が全部止まってたんですよ。で、有人窓口に並んだら、係員の人が手書きで領収書を書いてくれて、それが妙にきれいな字でね、ちょっとだけ「あ、丁寧にやってるな」って思った。それだけなんですけど、なんかその話を思い出しながら今日のテーマに入ろうかなと。今日は渋沢栄一の『論語と算盤』、「理想と迷信」章を読んでいきます。この章が書かれた背景、渋沢の頭にあったのは第一次世界大戦の惨禍で、「文明が進めば戦争はなくなる」という当時の楽観論が、現実によってきれいに打ち砕かれた、その後の空気感です。渋沢はそこから書き始めている。
で、渋沢の診断を先に言っておくと、すごくシンプルなんですよ。戦争が繰り返される根本の原因は「道徳が国際間に通じていない」こと、それだけ。各国、各組織が「自己の勝手我儘を増長する慾心」に支配されている、だから弱肉強食が再生産される、という構造の話として書いている。で、処方箋として渋沢が出すのが「東洋の道徳を実践し、国際間に真の王道を行う」こと、これが惨害を免れる唯一の道だという主張です。[pause] 表面だけ読むと、まあ、「道徳で戦争をなくそう」という精神論じゃないかって読み飛ばしたくなる気持ちはわかる。ぼくも最初そっちに引っ張られかけた。でもね、渋沢が本当に言っているのは「道徳は美しい理念だ」という話ではなくて、「欲に支配された意思決定の構造を変えないと、仕組みがどれだけ整備されても機能しない」という診断なんですよ。これは全然違う話で、渋沢が生きた時代に置き直すと、条約や協定の枠組みを作りながら各国が抜け穴を探していたあの状況と、そのまま重なる。
これ、現代に引き寄せると、あなたの周りでも似たパターン、見たことあるんじゃないですか。たとえば、複数の企業が業界の自主規制ルールを共同で策定するとして、文書としては立派なものができる。でもね、各社が運用する段階で「ここは解釈の余地がある」「この条件ならセーフじゃないか」という話が出てきて、えーと、だんだんルールが形だけ残って実態が変わらない、みたいな状況って、そんなに珍しくないと思うんですよ。渋沢の言葉で診断するとしたら、これは「道徳が通じていない状態でルールだけ作った」になる。ルールが悪いんじゃない、それ、本当ですか、という問いを手前に置くと、ルールを守ることへの内発的な動機が最初から欠けていた、というところに行き着く。[pause] 渋沢の言う「王道を行う」というのは、要するに、自社の短期的な利益を一時棚上げしてでも共通の規範を内側から守るという選択の話で、気持ちの問題じゃなくて、行動の選択なんですよ。コンプライアンス部門を置いて、外から監視する仕組みを増やすのとは、構造が違う。
ただ、渋沢を素直に受け取りすぎないほうがいい部分もあって、渋沢は解として「東洋の道徳」を出しているんですけど、これ自体が自国の文化的な優位性をどこかで前提にしている可能性がある。「普遍的な道徳」と「特定の文化圏の道徳観」をどう区別するか、渋沢がそこを明快に分けているかというと、まあ、言い切れない。そこはぼく自身も読みながら宙ぶらりんのまま置いている部分で、「東洋の道徳」という言葉を「普遍的な規範意識」と読み替えれば議論として成立するんだけど、それは読む側がやっている操作でもある。渋沢のテキストがそれを担保しているかは、別の問いとして残る。
渋沢の診断——「仕組みより先に道徳がなければ仕組みは機能しない」——は、百年以上経った今も同じかたちで問い続けられている。条約でも自主規制でも、コンプライアンス体制でも、問いの構造は変わっていない。で、あなたに聞いてみたいのは、あなたの組織や業界に「整備されているが機能していないルール」があるとして、そのルールを渋沢の言葉で診断したとき、何が欠けていることになるか。仕組みか、それとも内側から守ろうとする動機か。次回も引き続き「理想と迷信」章から別の訓話を読んでいきます。番組は「論語と算盤を読み解く」でした。
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