
#77 古墳って、なんでコーフンするの?
AIRWAVE GYODA
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子どもの頃から当たり前にあるから、「すごい場所に入る」というより、近所の公園に入る感じに近いかもしれない。
だからこそ、外の人が「すごい!」って言ってくれることで、初めてその場所の価値を再発見できる、みたいな逆転が起きてる気がするんだよね。
聖地巡礼もそれに近くて、知ってる場所が画面に映った瞬間に「え、ここそういう場所だったっけ」って急に違って見えるんだよね——まりこふんさんのツアーも、地元民が案内してもらう側になれるのが面白いと思ってて。
地蔵塚古墳って普段は中に入れないから、地元の人も外から来た人も「初めてここに入れる」という同じ地点に立てるわけで、それって案内される側・される側の非対称をフラットにしてくれる仕掛けだよね。
知ってる場所なのに、ずっと「入ったことない」ってどこかに引っかかってて、そのもやもやがようやく晴れる感じ、あると思う。
入れた、という体験が「ここは自分にとっても特別な場所だ」に変わる瞬間があって、九千八百円でランチまで込みなのは、その時間ごと記憶に焼き付けてもらう設計に見える。
推しのライブに遠征する感覚と一緒で、「その人がいるから行く」が最初の一歩になって、でも現地に着いたら土地そのものが記憶に残る、みたいな流れ。
遠くから来た人が「まりこふんさんに会いたかった」と言って、地元の人が「ここがどんな場所か知りたかった」と言って、動機がまったく違うのに同じバスに乗ってる、その時点でもう何か起きてる気がする。
遠征で隣の席になった人と、最初は全然違う目的で来てるのに、会場出たら「あのシーン最高だったよね」って気づいたら同じ話してた、みたいなことが起きそう。
古墳フェスまで続く二日間があることで、バスの中で芽生えた「なんか同じ感じがするな」が、翌日にもう一回会う可能性に変わるのが面白いと思ってて。
話しかけそびれたまま降りた人が、翌日フェス会場でぱっと視界に入る瞬間、「あ、いた」ってなるやつ——あれが一番緊張する。
それ、緊張してる場合じゃなくて運営にお膳立てされてる再会だよね——古墳フェスがあることで、偶然じゃなく「もう一度会える前提」で二日間が設計されてる。
お膳立てって言われると急にドラマの脚本みたいだけど、まりこふんさんがバスにもフェスにもいるなら、推しが軸として両日に居続けてることが、その再会を単なる偶然じゃなくしてる気がする。
まりこふんさんがいなかったら、古墳もフェスも別々のイベントのままで、二日間が一本の線にならなかった気がするんだよね。
正直に言うと、古墳ツアーって文字だけ見ても、たぶんわたしは申し込んでなかった。
まりこふんさんがいるから扉が開く、という構造は、一緒に同行するNHKの人気番組出演経験者がいることでさらに重なってて、「誰が連れてくか」が入口になって初めて古墳の中身が届く設計だと思う。
地元のおじいちゃんが案内してくれる話もすごく聞きたいとは思うけど、「会いに行く」って気持ちがあったかと言われたら、正直なかったと思う。
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