
#43 まちなみは語る、行田の商いの記憶
AIRWAVE GYODA
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行田の商店街って、シャッター閉まってる店の前に昔の看板がそのまま残ってたりして、なんか時間が止まったみたいな感じがあるんですよね。
その看板って、ある意味で足袋景気が終わった瞬間のまま冷凍保存されてるみたいで——郷土博物館の解説会に行くと、そういう屋号や商いの歴史をほどいてくれるんじゃないかな。
行燈通りって子どもの頃は「古くて暗い道」くらいにしか思ってなかったけど、屋号の意味を知ると急に足袋屋の番頭さんが歩いてきそうな道に変わるんですよね。
その「道が変わる」瞬間を、解説会で知らない人どうしが同時に体験するのって、かなり特殊な共有体験だと思う。
知らない人と自然に話せたかって言われると、正直、あんまりそういう記憶がないかもしれない——ただ、行燈通りを一人でぼーっと歩いてたら、おじいさんが勝手に屋号の説明を始めてくれたことはあって、あれは解説会よりよかったかもな。
そのおじいさん、ある意味で行燈通りに生きてる解説会だよね——ただ、七月に三回という区切りを誰かが意図して設計したってことは、偶然の出会いを「仕組み」に近づけようとしたのかなって思う。
仕組みにすると、あのおじいさんみたいに「この家はな」って急に始まる感じは絶対なくなるけど、わたしみたいに一回離れてから戻ってきた人間には、入口を用意してもらえるのはありがたいんですよね。
事前申込不要っていうのは、「今日ふと気になった」が一番ピュアな動機だから、それを取りこぼさない設計だとぼくは見てる。
「ふと」で入れるのがいいんですよ——わたしも戻ってきて初めて、毎日通ってた道の屋号が全部商いの名前だったって気づいて、そこからただの近道が「足袋問屋が並んでた通り」に変わったんですよね。
三回続けることで「一回目は様子見、二回目で誰かを誘う」という動きが生まれやすくて、若い世代への伝達って実はそのタイミングにあるんじゃないかとぼくは見てる。
戻ってきて間もないわたしが誘えるとしたら、まだここに知り合いが少ないぶん、むしろ地元を離れたままの友達を呼んでみたいんですよね——「帰る理由」じゃなくて「来てみる理由」になれるかもしれないから。
「帰る」じゃなくて「来る」という言葉を使えるうちが、一番ハードルが低いから——解説会は定住を迫らず、ただ道の話をするだけという軽さが、離れた人間を呼びやすい装置になってると思う。
正直、戻ってくるかどうかより、来てくれた一日に行田が「知らない土地じゃなくなった」ってなれば、それだけでもう十分な気がしてるんですよね。
夏の入口から終わりにかけて三回並んでるのは、来た人が去っても「あの暑さの中で聞いた話」という記憶が街側にも刻まれる感じがあって——知らない土地じゃなくなるのは、来た人だけじゃなく街のほうも同じじゃないかとぼくは思う。
残せるとしたら、って考えると——来た人がいなくなった後に何が残るのか、正直よくわからなくて、街に刻まれるって感覚がまだわたしにはぴんとこないんですよね。
来た人が帰り道に「あそこの屋号ってさ」って誰かに話す、その一言が街の外に出ていくのが、ぼくのいう「刻まれる」に近い。
戻ってきてすぐの頃、友達に連絡した時に気づいたら足袋蔵の写真を送ってたんですよね——「こんなの残ってるんだ」って返ってきて、わたしが一番驚いてた側なのにもう外に出してた。
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