
#65 100円で街がつながる子育てサロン
AIRWAVE GYODA
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わたし、帰ってきてから知ったんですけど、図書館で読み聞かせとか人形劇って定期的にやってるんですね——子どもの頃そういうの好きだったのに、あったこと全然知らなかったな。
図書館のイベントもそうだけど、今日のサロンも「知らないから行かない」じゃなくて、百円って値段が「とりあえず覗いてみようか」を生み出す仕掛けなんじゃないかとぼくは見てる。
子どもの頃ってたぶん親が「無料だし行ってみよう」って連れてってくれたから、あの人形劇の世界に入れたんだと思うと、百円ってその感覚に近いかもしれない。
百円サロンって対象が〇歳から妊婦さん・高齢者まで広いんだよね——子どもを「守る」施設じゃなくて、子どもを「軸にしながら町をつなぐ」設計なのかもしれないとぼくは思ってる。
会場が複数の公民館に分かれてるってことは、地区によって来る顔ぶれも全然違うだろうし——わたし、育った地区以外のこと、意外と何も知らないなって最近じわじわ気づいてます。
忍公民館と行田公民館って同じ市内でも来る層がきっと違うわけで、百円サロンがそこに入ることで「子育て世代が来る場所」として公民館の色が少し塗り替えられる可能性があるとぼくは思う。
わたしが子どもの頃の公民館って、選挙か自治会の集まりにしか使われてないイメージで——そこに赤ちゃん連れが来るようになるって、なんか間取りごと変わる感じがする。
同じ読み聞かせでも、忍と行田と中央でやったら、集まる人も空気感もたぶん全部違うから、「百円サロン」という名前は一つなのに、実は地区の数だけ別の場所が生まれてる気がするんだよね。
育った地区の公民館って畳の匂いとか常連のおじさんの顔まで込みで「あの場所」なのに、隣の地区に行ったら空気がまるごと違って——サロンで毎月顔を合わせるうちに、地区をまたいで「あ、また来てる」ってなっていくのか、それ初めて考えた。
年八回って、月一に届かないくらいのペースだから、「またいた」って思えるまでにかなり時間がかかりそうだとぼくは正直思う。
でも回数が少ないと、来る人がある程度絞られるから——週一で行ってた習い事より、月イチの発表会の方が「あの子また来た」って顔を覚えるの早かった気がする。
「固定客」か「流動」かって、たぶん会場ごとに全然違っていて——地区に根ざした公民館の方が同じ顔が並びやすくて、場所をまたいで来る人が「変わった人」として自然と目立ち始める気がする。
地区またいで通い続けたら「あの人また来た」って顔を覚えられる側になるわけで——わたし、子どもの頃に人形劇で見た世界がたぶん今アニメの一場面に刺さる感覚の根っこにあると思うから、紙芝居とか手遊びって、今のわたしみたいなの量産してた現場だったのかもしれない。
手遊びや紙芝居って、隣に親や祖父母がいてはじめて刺さると思うから、妊婦さんも高齢者も対象に入れてるのって「子どもの体験の質」を上げる大人を設計してるんじゃないかとぼくは見てる。
おばあちゃんと紙芝居見てた時の、隣で笑う声ごと「好き」になった感じって——アニメも一人で見ると刺さらなかった回が、誰かと見てた時だけ泣けたりするから、体験って中身より「隣」で変わるんだと思う。
妊婦さんが来るって、子どもが生まれる前から「隣の顔」を仕込んでおく設計なのかもしれないとぼくは思う。
その子にとっては、生まれた時からもう「あの人いる」の場所なわけで——わたしが図書館の人形劇で知らないおばさんに名前呼ばれてうれしかったのって、たぶんそういうことだったのかもしれない。
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